Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
1981年4月4日まさにこの日、福井発上野行、急行越前に乗りました。当時15歳、友人と二人、北陸周遊券で、旧型客車に乗りまくり、北陸地方の鉄道を貪った最終日でした。懐かしすぎます。貴重な映像ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。そうですか。では、この列車の折り返しだったのですね。15歳で鉄道の旅って羨ましいです。
@@HobbyVideos 私が初めて鉄チャン旅したのは1年後の1982年3月、18きっぷ登場直後に夜行日帰りで富山港線の旧国に乗りに行きました(単なる自慢)‼️
私この時代には生まれてなかったのでこのような動画を上げてくださる事はとてもありがたいことです。一度は見てみたかった車両が沢山あります。
車両のバリエーションが豊富で本当に見ていて飽きないです。本当にタイムスリップして撮影してみたいです。
タイムスリップですか?でも、歴史を変えてはいけないのですよ。もし、この時代に行って、撮影したとしても、それを現在に持って来ては行けないのでは。(SF映画の見すぎかも)
昭和56年この時まだ僕は5歳で当時は極々普通の光景でしたけど、こうしてビデオで振り返ると国鉄電車全部良かったですね。人と人との繋がりも普通にあり、のんびり平和でいい時代だったと思います。
なるほど、でも5歳でもこの当時を知っておられるのは、良い事ですね。
貴重な映像をありがとうございます。この頃の列車編成を模型でも再現して走らせていると、何とも言えない旅情に浸れます。
そうですね。私は13mmゲージなので、中々再現出来ないんですけど、何とも言えない旅情がありますね。
最高すぎます。今こんな列車走っている所あったら引っ越すよ。貫通扉は閉めてなくて鎖のみが好きです。
メッセージありがとうございます。そうですね。今の時代なら大井川鉄道かも、北海道のC62の列車はまだやっているのかな?でも、今の時代から、今の時代にしか引っ越せないんですよね。過去に引っ越せたら、いや、時間旅行で良いから できたらどんなにすばらしいことか。今のフルハイビジョンのカメラを持って、急行「能登」や「越前」を撮影に行きたいですね。
@@HobbyVideos もしスマホで越前等の列車を撮りRUclipsにupしたらどうなってしまうでしょう?( *゚A゚)
克己 大塚さんより頂いたメッセージです。ヨダレが出る列車が目白押しですね。???と思われている荷物列車の3両目ですが、元国鉄某○砂工場にいらっしゃった方によると、屋根が鋼鈑に張り替えてあるので、マニ36であろうという事です。私もそう思いますが、何だか窓配置がちょっと独特だし、恐らくオハ35が種車なのでは?と思いますが如何でしょう? 「警笛鳴らされた」との事ですが、80年代ビデオカメラなんて持っている人はかなり少なかった筈ですし、機関士さんからも目立っていた筈です。汽笛は恐らく「サービス」ではないでしょうか?
10系客車は聞いたことはあっても見たことはありませんでした。ありがとうございます
メッセージありがとうございますここに映っているのは寝台の10系客車なんですが、座席車の10系客車もありました。北陸では、旧型客車に交じって10系客車が走っていました。
金沢出身の鉄道好きの者です。あまりに貴重な映像をありがとうございました。涙が出そうになりました。
メッセージありがとうございます。金沢出身と言う事は、今は東京かどこか金沢以外の所でお住まいなのでしょうか?私も、昔若い頃、東京で暮らしたことがあるのですが、当時、この列車が走っていたころ、よく上野駅まで見に行きました。東京のロングシートの電車ばかりの生活に、金沢の町が懐かしく思えたりしたものでした。
懐かしい。国鉄形そろい踏みですね。実車音もあって素晴らしいです。私は東海道沿線に住んでいましたが485・583系の雷鳥、153系急行、EH10/EF58/EF60/EF65などなど今でもよく覚えています。
TheHekoayujp さnメッセージありがとうございます。こんにちわ。東海道沿線に住んでいたと書いてありますが、雷鳥などが見ることができたと言う事なので、京都と大阪の間なのでしょうね。 私も8年ほど関西に住んでいたのですが、近鉄沿線で国鉄はほとんど縁が無く、雷鳥なんかを大阪駅で見ると、遠い知らない街に旅をしてみたいって良く思いました。
国鉄が分割民営化されてJRになりました。
生まれる遥か昔の動画なのにどこか懐かしさを感じる。
不思議ですね。
国鉄時代の車両が大好きです。自分は昭和45年生まれ、やっぱり国鉄時代が馴染み深いです。10系寝台+旧型客車すばらしいですね!✨
私と同じ方ですね。私も今のJR車両は性能は良いのですが、デザインが好きになれません。
なんとゆう楽しい駅でしょう!タイムスリップして一日中見ていたいですね。今の少年鉄道ファンは少し可哀想とさえ、思えてきます。14系寝台車のドア部分、ちゃんと白帯が入ってますね。当たり前かも知れませんが、動画で初めて見ました。
メッセージありがとうございます。こんな列車が来るのは、早朝と夜だけですよ。後は、キハ28・58の七尾線と、北陸本線は、旧型客車に475系に485系、当時は全て国鉄色のみでした。
今の少年鉄道ファンはこの先リニアや四国新幹線見れるからそれはそれでいいのでは⁉️
@@psychedelicraspberry1457 それもそうですね。僕だって蒸気機関車時代のことは知らないし…。
ナレーションがとても聴きやすかったです。懐かしい列車の映像をありがとうございました。
どういたしまして。
とても懐かしく拝見致しました。子供の頃家族旅行で越前に乗った記憶がよみがえりました。ありがとうございます。
どういたしまして!
旧型客車時代の越前、能登の貴重な映像楽しませていただきました。客車列車ブルトレファンにとってはたまらない映像でした。
メッセージありがとうございます。そうですか、まだ少しあるので・・・・といっても、急行能登や急行越前の特集ではもうアップしています。あと、特急北陸と特急日本海の映像の特集がまだなのですが、またそのうちアップしますのでよろしくお願いします。
懐かしいです😊急行安芸思い出しました😭糸崎駅で、E F 58から、C 59に付け替えて呉線経由で、呉まで里帰り☺動画ありがとうございました🙇
メッセージありがとうございます。急行安芸もこんな感じの列車だったのですね。昔は、一杯こんな列車は知っていたのにね。
母親が津幡出身ですので毎年お盆の一週間だけ滞在していました。到着時の独特のアナウンス懐かしいです。富山方面行きのホームにあんころ餅を売ってるおじさんがいましたね。七尾線のディーゼル車も中に入ったときの独特の匂いも思い出します。素敵な映像ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。津幡の駅も聞いたところ、今は改装工事を行っているようです。ふるさとの思い出の風景が少しづつ消えていくのは仕方が無い事かもしれません。こんな、ビデオでもその当時の雰囲気、空気を感じていただいて、嬉しいです。 あんころ餅は、松任の名物で、昔は松任駅でも良く売られていました。 津幡で売っているのは、知りませんでした。 今の列車は、窓が開かないので、ホームでの商売も出来なくなってしまったのでしょうかね。それとも、列車を待っている人たちが、買わなくなってしまったのでしょうかね。でも、キオスクには、売っています。松任郵便局にも売っていますよ。
ピィーっ の後のガチャン♪って連結器の音がたまらない(=^・^=)
メッセージありがとうございます乗っている人は、ショックがあったでしょう。今は、いつ動き出したか分からないくらいスムースに発車するけど、昔はこんな発車が良くありました。客車列車が駅に停まると、まず機関車だけブレーキをかけて、客車はブレーキを緩めるのです。すると、ちじんでいた連結器が伸びて、一番後ろの車両なんかは、少しバックするのです。そして、ゆっくり発車させると、あまりショックが無いのですが、なにぶんそううまく行かないようで、トワイライトエクスプレスの発車も時々、ガシャンって発車する時がありました。
Hobby videos 39 さん貴重な映像をアップロードしていただき、ありがとうございます。確かに止まってからもバックしてましたね。後ろの方の車両だと、汽笛の後、連結器がガチャンガチャンと音がして、静かにスゥーっと動き出すのがとても趣きがありました!
この、プル動力車の特徴で引っ張られると順次がっくんと振動が伝わるのがいいんですよね😊寝れ無いけど😂
関東に引っ越した後、兵庫への帰省時に青春18きっぷを使って友人と鈍行三昧で帰った時、山陰方面で冒頭の白地に青線のゴーパーサン改のデコスケ電車に乗りました。たしか、ぎりぎりで20世紀だったかと思いますが…懐かしかったです。
本年もよろしくお願いします。色んなあだ名があるようで、デコスケ電車って呼んでいるのですか?北陸では、よく聞くのは、食パン電車って言ってます。どっちにしろ、あまり良い印象は、受けないですよね。中は、さすが寝台特急の車内で広々としています。
「ひだ」がなんで津幡駅を通過しているのかと思っていたら、この時代は富山からスイッチバックして金沢まで運行されていたんですね。初めて知りました!ありがとうございます✨
いいえ、どういたしまして。
はじめまして、貴重なそして懐かしい動画をありがとうございます。10系寝台車が好きでよく上野駅で発車を見送ったり、到着列車を見に行っておりました。周遊券で全線走破とかしていた頃で懐かしい。寝台車は乗れなかったな~、寝台料金も節約して旅していました。
いやいや!旅を楽しむなら寝台車なんてならない方が良いですよ。やはり座席車で旅を楽しまないと。寝台車は、仕事などで、とにかく体を休めたい時に乗る方が良いと思います。
懐かしい。昭和30年代に黒部市に田舎あった頃小学生だった自分は上野発のSLとこんな客車乗って行ったものです。窓の閉開けが出来て沿線の空気の匂いがたまらなかった。清水トンネルでの煙幕は凄かった。
メッセージありがとうございます。昭和30年代・・・・・私が幼いころです。東海道本線に特急「こだま」が走っていた頃ですね。上野からSLだったのですね。これまた凄いですね。でお、当時はこれが普通だったんですからね。
敬意の警笛かも この時代風に呼称すれば 貴重な鉄道愛好家。。。
なのかな!この警笛!
ファンサービスの警笛でしょうね?結構運転手さんに手を振ると警笛鳴らしてくれたり、手を振って返してくれたりありますもん。鉄道好きで、おんなじ仲間という感じでしょうね!素敵な世界です。
良き時代の懐かしい光景ですね。以前転勤で富山に7年暮らした事がありこの界隈も訪れた事がありますが1989(平成元)年~1996(平成8)年までの間でした。1981(昭和56)年と言えば丁度ロザの帯が消され始めた頃ですね。これは1978(昭和53)年だったか塗装規定が変わりロザのグリーン帯が省略されるようなったもので対象車両は検査入場する際に消されるようになっていきました。元々ツートンカラーだった電車・気動車では編成全体の統一感もあってか然程違和感が出なかったものの、客車ロザの帯無しは何処か間の抜けた物足りない印象でした(1969/昭和44年まではロネ車にも帯がありました。これも1等寝台からA寝台に変わった際帯が省略されたものです。こちらは年月が経っていたせいか?当時ブルトレ以外のロネ車はオロネ10・オロネフ10そして合造車オロハネ10だけだったこともあってかあまり違和感はありませんでした)。急行越前・能登の最後尾車輛の貫通扉の色ですがこれは近代化改造工事を受け持った工場によっての違いが色々ありました。本来は車体色に塗るべきですが、車内と同じ色に塗る例も多々ありました。尚最初の越前のみ一族僅か20両の希少車オハフ45原型車ですね(他にオハ46から緩急車化されたオハフ45101~が11両、スハ43の内自重が軽くオハ46に編入されたものから改造されたオハフ45201~が9両存在します。貴動画に登場するのはいずれも電気暖房装備の2000番台ですね)。荷物列車の屋根形状の違いですがこれは昭和10年代に流行った張り上げ屋根車ですね。当時屋根は鉄製の梁に木の板を打ち付ける構造でしたが其処も鋼製にすることで軽量化を図ったものです(丁度電車の世界でモハ52が登場した頃です)。車体もノ―シル・ノ―ヘッダーにされたものも結構いたものです。七尾線の気動車列車、オールキハ58・キハ28の編成は急行列車編成の送りこみの輸送力列車だったのかも知れませんね。また、DE10牽引の客レ、オハ41がかなりの数繋がっていますね。この独特の窓配置は改造元の車輛の面影を今に伝えています。これは昭和30年代だったか、地方線区のローカル列車にロザの連結を止め、且つロザを所謂特ロ=リクライニングシート装備車=に統一するこになり、更に冷房化される車種もその後の需給を見据えて集約(ナロ10・スロ54・オロ61・オロフ61、重量区分が変わりナロ10→オロ11、オロ61→スロ62、オロフ61→スロフ62になりました。スロ54もマロ55になったのですが流石にまだ蒸機牽引も珍しくなかった当時それではまずいとのことで台車を振り替えたりでス級に抑えてスロ54の形式変更なしとしました。マロ55になった2両=26・29=もスロ54に復帰しました)され、不要になった並ロ・あぶれた特ロが格下げされ、更にラッシュ時の収容力UPのためロングシート化されました。貴動画に出て来るオハ41はスロ51・スロ53辺りから改造されたものですね。確か300・350番台あたりになるかと…長々と取り留めもない文章で失礼しましたm(_ _)m
メッセージありがとうございます。津幡でのビデオから、これだけの情報を教えていただき感激です。そういえば、オロネ10なんかは、緑の帯が入っていませんでしたね。でも、この帯なんですが、キロ28やサロ165などの急行用には、入っていたのに、181系や485系581系などの特急には、昔から入っていませんでしたね。特急には、帯は入れない。急行以下の車輌には帯は入れる・・・・・と言うこれも、国鉄の規則だったのでしょうか。でもなぜこの規則ができたのでしょうかね。 昔、私が子どもの頃、キハ55が、京王電車の5000系のような黄色の車体に赤い帯びの塗装だった頃、当時1等車は、赤の帯の部分が、グリーンの帯びでした。でも、私あの配色は、いまでも忘れられなくて、覚えています。赤の帯もちょうどグリーン車の帯と同じ幅だったので、なぜかグリーン車だけが帯があるのではなく、全体に帯があってその帯の色だけが違うと言うのは好きでした。それが、ツートーンの塗り分けになると、なるほど、特急の塗装と同じく統一感があってか良かったのかもしれませんね。客車の帯なしは間の抜けた感じ(笑)。そうですね、なんか、あの帯が長い列車にアクセントになっていたのかも知れません。当時は、普通列車も、急行列車も同じような車輌で、あの帯が連結されていると遠くから見ても、「あ!急行だ!」って分かるのが、嬉しかったように思います。張り上げ屋根なんですが、私鉄の電車は、遠の昔から張り上げ屋根の電車が多く作られていたのに、なぜ国鉄は張り上げ屋根はほとんど無かったのでしょうか。キハ28,58も、一部キロ28の2000番は、張り上げ屋根ではなかっらり、それより新しい、キハ65も張り上げ屋根ではなかったりしていますよね。 私自身も、これほど詳しい事は分からなかったのですが、また別の人もこのメッセージを参考にしていただけたらと感謝しています。
わあ、懐かしいですね。雪も降ってるし北陸らしいです。ありがとうございました。また訪問したいです。
ビデオ買って間もない頃の撮影です。
10系・・・涙チョチョ切れる!!!また乗ってみたいなあ。
メッセージありがとうございますもう走っていないですね。10系寝台。
kojiharuraicho489 さんメッセージありがとうございます。この当時は、このような列車ばかり走っていました。でも、旧型客車は、まもなく無くなるであろうと思っていたので、良く撮影にでかけました。七尾線の客車なんですが、この時期に50系の客車が導入された事もあったのですよ。それは、また後ほどアップしたいと思います。
1982年4月、急行「越前」のスロ62に上野~津幡乗車しました。当時を思い出しながら動画を拝見しました。機関車牽引列車が定点で警笛を鳴らすのは、駅立ち番へのあいさつと思います。かくいう私も国鉄時代に某駅で立ち番の経験があり、ホーム入線時に機関士に敬礼すると短笛で返礼されました。
なるほど、そういう事ですか。そして、「○○列車 定時通過」と確認するのですね。
大変、貴重且つ懐かしい画像を多数ありがとうございます。当方、JM歴32年のモデラーで、北陸筋の国鉄型車両を中心に製作をしており、貴殿の貴重な画像に大いに刺激され、後を押されています。122レなんかは最高ですね、当方もこの列車を製作途中で鋼体は既にほぼ出来ており、電装で中断しています。最近ではDD50一次型、二次型等、過去においては金鉄局お座敷列車、603・606列車急行越前等が誌面を飾っていますので、どこかでお目に触れているかも知れませんね。また、荷物列車3両目ですが、既にコメントされている方もおられますが、大ミハのマニ36-2058で間違いないでしょう。この2058は18年前の”とれいん誌にて製作記事を書いたことがありますので、画像を見て即座に判りました。当工場、北陸筋の国鉄型でも旧型客車の占める割合が高く、今後も刺激を頂戴したく思いますので、よろしくお願いします。
+松任工機部 さん メッセージありがとうございます。いやーJM歴32年ってすごいわ~!私なんか、去年初めてJMの部品も、何とか手に入るのか!ってわかってやり始めたとこなんです。485系に475系、EF70、旧型客車、が主でしたね。そしてキハ28・58のしらゆき。私は、これまで16番のJゲージのトワイライトエクスプレスが有るので、それをJMに改造中。で、途中からDCCのコントローラーを友達から頂いたので、また、その勉強でストップしています。JMゲージは、スパイクモデルが主なんですが、どんな車両でも作れるくらい、パーツは豊富ではないので、出来るところからと思っています。とにかく、EF81がJMに改造できそうなので、よかったなって思っています。また、よろしくお願いします。
はじめまして。国鉄時代の鉄道ファンさんのファンです。この動画は何回も見ました。この時代の能登と越前は中学生だった当時の私は夜行なので、見たくても見れなかった貴重なものでした。今こうやって見れてうれしい😃限りです。本当にありがとうございます😊おかげで、この動画を元に能登&越前をNゲージで揃えられました。とにかく、貴重な動画をありがとうございました🙇♂️
メッセージありがとうございます。今は、Nゲージはほとんどの車両がそろっているので、良いですね。私も、この列車が走っている当時、能登の編成をそろえたのですが、ほとんどが、グリーンマックスのキットを組み立てて作りました。ただ、先頭の荷物だけが売って無くて、あり合わせの貨物を繋いでいました。
お返事、ありがとうございました。そうですね。マニ37もスニ41も普通にありますしね。国鉄時代の鉄道ファンさんの動画を見るとあの頃に帰りたくなります(笑)
まあ時間は戻りませんし、もう、北陸にも初の標準軌の鉄道が開通して、東京まで2時間30分くらいで行ける時代になって、どんどん変わって行きますね。ただ、東海道新幹線が開通してからもう50年くらいは経つのに、時速260km/hしか出ない新幹線を開業するなんて、ちょっと北陸をバカにしているようにも思います。
快速ムーンライト九州(14系)、寝台特急あさかぜ(24系)はよく乗りました。客車が好きでした。機関車に引っ張られてゴクゴク客車に振動するのがたまらない。もう客車は無いかはな~
大井川鉄道とか、イベントで客車列車走っていないかな?
JNRkazu さんメッセージありがとうございます。(2013/11/5の返信です。)キハ82は、キロとキハがドアーを向かい合わせに連結します。キシを連結するときは、このキロとキハの間にキシを連結するのが普通なのですが、北海道の1986年に乗った時は、キハ82のすぐ後ろに、キシが連結されていました。まあ、これは、ちょっと変則てきですね。 電車は、国鉄時代の新性能電車からMとM’とかで2輌ユニットで直流も交流も走っていたのですが、両方ともモーターが付いていて、違和感が無かったのですが、最近は、M'がモーターが無くて、クハやサハになってしまったみたいで、まあこれも時代のながれなのでしょうね。 模型は、もともと、HOで始まった私で、Nも持っていますが、自分で色々作るのは、HOが大きくて作りやすいので、HOを手作りで作っています。今は、プラのHOも安価に買えるようになっていいですね。
食パン電車の改造発想が興味深い。高崎線や宇都宮線では今は普通列車では全て4ドアですが、1980年ではまだ客車普通列車が運用されていたんですよね。
北陸本線は、交流電化だったので、客車列車が残ったのではないかと思います。直流電化だと、新方地方などの、旧型国電など、色々と走れたんだけど、交流電化と言うのが客車列車が残った理由ではないでしょうか。
ものすごいロマン。かっこいい。この時代にはまだ全然生まれてなかったけどさぞ楽しかったんだろうな〜
「かっこいい」ですか?今日続々と新しい車両が設計されて、新車が誕生していますが、今の設計者も、「かっこいい」と考えて新車を作っているのではないかと思うのですが、改めて、昔の列車が「かっこいい」と言われると、複雑な気持ちにあります。
@@HobbyVideos 思い入れがあるせいか昔の列車の方がシンプルでカッコよく見えますね笑
昔の車両って、鉄道らしい形をしていたように思います。今は、自動車のようなデザインになってきているような気がします。貫通扉なし、全面フロントガラスは1枚ガラスとかね。
この頃、東海で撮り鉄していた私には、北陸は行きたくてもいけないとても遠い地でした。
そうですか、でも上野駅に行くと北陸方面への列車が見る事ができたと思います。
津幡駅を降りてすぐ近くに実家があるのでメチャクチャ懐かしいです、あの昔の跨線橋、子供の頃に渡ったの覚えてます !(^.^)!
実家があると言う事は、今はそこに住んでおられないのですね。
@@HobbyVideos 今は従兄弟が住んでいます
10系客車を復活してほしい。とても味がある。ちなみに乗ったことがない。また、七尾線はその当時最大8両編成で運行しておった。しかし今年から順次、2両ないし4両になるので寂しい。
もう、帰らない時間の流れでどうしようもないですね。私は、思い出の車輛を、模型を作って思い出に浸っています。
@@HobbyVideos 是非レプリカでも製造してほしい。
自分も地元で生活をしているので·凄く懐かしいですね·貴重な動画を視聴させて頂いて·有り難うございます
色々乗ったことがあるのですが、スロ54や62の様な、旧客ロ座にだけは一度も乗らずに終わりました。あの帯に憧れた日々も、今は昔。
スロ54などのグリーン車なんですが、昔急行「きたぐに」が普通車が12系だったのですが、グリーン車がこの旧型客車の車輛だったのです。なんか、違和感を感じました。そう思えば、12系のグリーン車とか、14系座席車のグリーン車ってなかったですね。
貴重な映像をありがとうございます。臨時特急ポートピアはその当時神戸のポートアイランドで行われていた博覧会の為の列車ですね。たしか神戸行きだったと思います。後の神戸雷鳥の元祖です。急行越前って懐かしい列車ですね。旧客ロザは60系の冷房改造車ですね。この頃はロザの等級帯やブルトレのヘッドマークは段々省略されていた時期です。確か東京ブルトレしかつけていなかった筈です。急行の旧客も10系座席車が入っていないのがかえって良いですね。まだ、編成が長いですね。今は、列車本数を多くする変わりに短編成になっていますね。昭和60年迄はこの様な感じで編成が長いです。
メッセージありがとうございます。当時の事を鮮明に覚えておられてうれしいです。でも、当時はこうだった!って言うのが、何とか残せないかと当時は買ったばかりで必死で撮影しました。・・・・失敗続出。この当時は、グリーン車の帯が付いた日と無い日とまちまちでした。ブルトレのヘッドマークがだんだん省略されていた時代だったのですか?それで、日本海なんかは、ヘッドマークがなかったのですね。末期は、また復活したようですね。廃止直前はヘッドマークを付けて走っていました。ヘッドマークは、国鉄時代の特急を表すマークですね。JRの681系や683系にヘッドマークが無いのを最初みたら、なんかまぬけな感じがしました。・・・・今は見慣れましたけど(笑)編成は、当時は普通列車でも、客車10両とかありましたが、今は朝6輌、それ以外は2輌か4輌ですね。
急行越前 懐かしいです。上野口で到着を待って、ただ唯オロネとスロ それに荷物車からの荷捌きに興味深く夢中だったように思います当時の牽引機はEF57でしたよね。遠い記憶ですけど、早く大人になりたい!こんな夜行に独りで乗ってみたい そう夢見てました。 しかし、さすがに オロネ10には間に合いませんでした。
先日、のと鉄道復興で桜を見にいきました。能登中島駅や田鶴浜駅のホームが長かったのはこれが乗り入れていたからなのですね。
はい、能登鹿島駅は普通列車しか停車しないのですが、20mの車輛が多分4輌位は止まっていたと思います。
いや〜、今となってはとても貴重な映像かと思われます。当時は普通列車がDC、気動車が長編成が当たり前だったんですよね。それが今ではシングルアームのパンタグラフの電車が2両編成となり時代も変化したのがちょっと寂しいですね❗️
まあ今は合理化されたと言う事かな。逆に言うと、昔は無駄な事ばかりやっていたと言う事になるのかもしれません。それと、車社会が進んで鉄道の利用者も減って来た事もあるのではないでしょうか?
お初にお目にかかります!貴重な映像ですね!私はこの時代に生きていなかったので、客車列車や急行列車、まして荷物車が闊歩しているのをみたことがありません。(幼少期に富士・はやぶさを一度見た記憶がありますが)客車列車特有の「ガタンッ」と動き出す感じ、最高ですね!寝台車も旧型客車も普通列車も、映像に映っている車両たちに乗ってみたかった……!
そうですか!客車列車でトワイライトエクスプレスや、日本海は、見たことがないでしょうか?北陸の方でしょうか?旧型客車はまだ、大井川鉄道で走っていると思います。私も、一度乗りに行きたいのです。
@@HobbyVideos 東海地方の山岳生まれです。トワイライトや北斗星など、最後まで走っていた客車列車は乗りたかったし見たかったです。あまり都市部に出ないので、鉄道は遠い存在でした。
旧型客車好きの方には、それなりに楽しめる映像ですね。張上屋根のマニ36は、その当時拝見したことがあります。オハ41(旧特ロのスロ51)をこれだけまとめて見たのは初めてです。何げに貴重な動画ですね。特ロ時代末期は青15号塗装だった筈なのに、格下げした途端にぶどう色2号に戻ってしまったところに、何か哀愁を感じます。
この当時は、ビデオカメラを買ってすぐの時の映像なので、あまりうまく写っていませんが、それなりに朝の長距離列車を撮影しました。当時のカメラは、なかなかホワイトバランスや絞りなどの調整がやっかいで、今とは違って、使い慣れないカメラでの映像。採り方もいまいちなのですが、それなりに楽しんでもらえてうれしいです。
オハネフ13とはまたレアな……オハネフ12の波動輸送用バージョンで、最期は格下げされて金沢と尾久に集められて横軽越えしてたやつ……
オハネフ13とオハネフ12って、そこまで分かりませんでした。とにかく、来た列車を撮影するのに夢中でした。
大変貴重な映像をありがとうございました。急行越前、急行能登、寝台特急北陸、いずれも縁のある場所を通るので身近な存在ですが、残念ながら14系最末期の北陸に乗ったことしかありません。越前は信越廻りなので一番後ろはオハフ45でしょうか? KATO製品とは異なり、編成中にアルミサッシ車がたくさん入っているのには驚きました。映像にも収録されているオハネフ13は欠かせないですね。欲しいなぁ。
やはり、この時代はもうアルミの窓枠の車輛を多く使う時代だったのかもしれません。表日本では、新幹線が走っている同じ時代に、こんな急行列車が走っている、アルミサッシの窓枠の車輛は、少しでも当時の今の時代に近づけたかったのかもしれません。
国鉄と言う響きがとても懐かしく感じます♫よく硬券切符集めてました♫
そうですか。私もまだ持っていますよ。硬券。でも、昔って、あのような硬券を売れるか売れないか分からないけどあらかじめ作って駅に置いてあったのですね。今は、切符を買ったら、出てくるので、無駄はないけど、昔はそれを、無駄とは言わなかったのですね。それが、普通の時代だった。
う~ん、今からみれば夢のような光景ですね…。
メッセージありがとうございます。そうですね。当時でも、もうこれは貴重だと思ってビデオを買ってすぐに撮影に行ったくらいです。
グリーン車の帯省略はモノクラス化に伴う工程省略です。
行程省略ですか。特急は、帯がなかったですね。急行以下の車両が帯があったのですが、私は帯があった方が好きです。
7:01~ 「何だ~コレか・・・」よく分かります^^。確か、、急行「立山」「兼六」「くずりゅう」なんかも同じカラーでしたよね~ぇ。 当時はごく当たり前の光景、、メチャ懐かしいです。今は、北陸在来線もスッカリ変わってしまい・・・・・・一連の大変貴重な動画、、うpに感謝ですw。
+TheJackmaster7 さん メッセージありがとうございます。今は、この国鉄色が白や青に塗り替えられて、おっとその前に赤に塗られていた時もありました。そして、今は金沢総合車両所で順次解体しています。外からは見えませんが、黄色い重機のブームが奥の方で動いています。
貴重な動画を有難うございます。
とても懐かしい映像有難うございます。最初のは急行越前でしょうか?グリーン車に母親と乗ったことあります。私が切符を取ったのですが母親が寝台の方が良かったと文句を言われたのがいい思い出です。津幡駅といえば以前ホームに立ち食いそば屋がありましたね。
そうですね。最初は越前です。グリーン車は眠れましたか?照明は暗くなりますよね。津幡駅、この当時の立ち食いそばがあったかどうかは、よくわかりません。
JNRkazu さんより頂いたメッセージです。地元の駅の国鉄時代の映像は貴重ですね。荷レに組み込まれている白屋根の車両はマニ36張り上げ屋根車ですね。オロ40やオハ35からの改造車にこのような形態がありました。七尾線からの金沢行きに組み込まれている首都圏色の車両はキハ53ですね。七尾機関区にはキハ23が配置されてなかったですから。ちなみにこの3年後、キハ53は揃って米子機関区へ転属しています。4月4日の北陸と、4月5日の能登を牽引しているのはもしかしたらEF81 27号機かもしれません。27号機は2エンド側の20系用ジャンパ栓受けを撤去しており、スカートに大穴が空いている変形機です。現在もJR貨物に在籍する注目車です。
米子に転属したキハ53に1984年8月に木次線で乗りました‼️
はじめまして。懐かしく拝見させていただいてます。汽笛の件ですが駅通過の際に運転助役の列車監視に対する機関士の挨拶みたいなものでした。これは何故か電気機関車だけだったようでその経緯と歴史は不明です。なので機関士の中には鳴らさない方もいたようです。急行越前は色んな型式の客車がミックスされていて衝動を出さない停車ブレーキ扱いに各停車駅で悩んだことが懐かしいです。
なるほど、機関士をされていたのですね。私は鉄道は好きで撮影していますが、マニアほど詳しくないので、教えていただいてありがとうございます。勉強になります。「衝動を出さない停車ブレーキ扱い」と言うのは、停める時の事なのでしょうか?
@@HobbyVideos 1221レや1223レとかよくあんなのを運転してたなぁ〜と(笑)越前はブレーキ性能がバラバラな編成で自動ブレーキでの停車ブレーキは胃が痛くなりましたね。特に下りの石動駅。能登よりも難しかった記憶が。
1221とか1223って金沢福井間の旧型客車でしたっけ?ブレーキ性能がバラバラな編成って、旧型客車と10系寝台の編成かな?素人が思うには、ブレーキは締めるか緩めるかしかできないので、どんな風に難しいのかがよくわからないですが、停止直前になって、急にブレーキが利いたりするのかな?
特急ひだが北陸本線走ってたんだ! 知らんかった!
+ef58100 さん メッセージありがとうございます。1日に1往復なんですが、国鉄時代は、金沢と名古屋間にキハ82の特急ひだが、走っていました。
高校三年生になった頃です。津幡駅から金沢駅まで電車を利用し通学していました。当時は両駅とも無料の駐輪場がありました。津幡駅ではあんころもちを販売していました。懐かしいです。陸橋は今も変わらないのですがようやくエレベーター?が設置されるらしです。
メッセージありがとうございます。津幡駅でもあんころもち を売っていたのですか?松任駅でも売っていました。昔は、窓を開けて買う事ができたからね。津幡駅が、何やら工事をしていたとは、聞いていましたが、エレベーターを設置していたのですか?今は、みなエレベータがつけられて車いすの人が他人の手を借りないでも、ホームまで行けるようにしているのですね。
最初に出てきた屋根が白い客車は張り上げ屋根のマニ32ではないでしょうか。
多分、そうだと思います。数少ない車輛だったら、その確率は高いですね。
子供の頃大阪駅から(まで)回送される北陸特急の列車をよく見ました。ポートピア博覧会は小学校4年の時で、パンダを見るのに長時間並んだ記憶があります。始めて北陸に行って雷鳥に乗ったのは平成3年、運転免許の合宿で七尾に行ったときでした。予定より遅れて卒検パスして大阪に帰るとき、金沢駅やスーパー雷鳥のワゴンサービスでビールと駅弁やつまみを買って一人祝い酒したあと寝落ちしてしまい、大阪駅到着後車掌さんに起こされ恥ずかしかった思い出があります。加越の列車名とヘッドマークの由来がわかったのもこの頃です。
なるほど、疲れていたのですね。大阪駅に着いていても起きないと言う事は、爆睡していたのですね。私も、学生時代に、東北に撮り鉄に行って、福島から米沢まで普通列車に乗っているうちに寝てしまい、車掌に起こされ、この後米沢駅待合室でまた寝てしまい、急行津軽が来る前に、駅員に起こされた事があります。 でも、運転免許の合宿って今は流行っているのでしょうね。私は、家から通って免許を取得しました。
2:35 国鉄時代は寝台特急北陸は津幡通過JR時代になって津幡に停車するようになった
懐かしいですね・・・・越前・能登・北陸と寝台車がありましたね越前は先になくなりましたね北陸本線は30年前は普通旧型客車走っていて当時でも衝撃を受けました(^-^;
メッセージありがとうございます北陸本線が交流電化だったために、旧型国電などが、走れなかったため、旧型客車になってのでしょうね。
厳密に言うと、昭和57(1982)年11月のダイヤ改正で、能登が廃止され、越前は、福井と金沢の間が廃止になり、金沢と上野の間は、列車名が能登に、車両は、14系の3段寝台車と座席車に変わりました。余談ですが、この時の改正で、急行のきたぐにも、新潟と青森の間が廃止になり、能登と同じような編成に変わりました。
最後に出てきた普通列車で、車内が通勤仕様のロングシートに改造された客車は、旧2等車(グリーン車)が種車になっているものが多く、映像から見るとスロ51からのものが確認できました。それと、よく分からなかったのですが、窓割から見ると旧特急用のスハ44(スハフ43?)から改造されたものがあったように見えます。スハ44は、晩年は四国に集中配備されていたと記憶しており、わざわざ乗りに行きましたが、金沢客車区に転属してロングシート化されたのでしょうかね?いずれも、改造後はオハ41という形式称号にまとめられておりました。貴重な映像を楽しませていただきました。
+sato hiroki さん メッセージありがとうございます。ロングシートの客車は、ちょっと好きになれなかったので詳しい事は分からなかったのですが、貴重な情報をありがとうございます。何か、ニュースでも見ましたが、スハ44は、大井川鉄道で2両が動態保存されるために輸送したと言うニュースを覚えています。それが、四国からでした。ですがら、おっしゃるように四国に配置されていたのでしょうね。
横から失礼します。スハ44及び一族のスハフ43・スハニ35は特急運用を離れた後、シートを回転クロス化改造されました(かつて門鉄局が特急[かもめ]の方向転換のややこしさ=香椎線や勝田線を使って2時間弱かかっていた=解消の為提案しその改造工事中のピンチヒッターとしてハザをナハ11・ナハフ11に置き換え、再び投入する予定だったのが東海道の臨時特急用に回され帰ってこなかったことが有りました)。当初は持ち回り観光列車などに使われましたがやがてスハ44の半数以上はスハフ43(11~)に改造され20系化前の[みずほ]や臨時[あさかぜ]などにも使われた後、夜行急行の主に座席指定車に充てられました。有名なところでは東京~大阪間の銀河2-2号があります。ただ、在来一般型客車の常として検査等で編成から外れた際には4人掛けシートのスハ43・スハフ42などが入ることもしばしばでしたが…主な働き場だった山陽夜行が新幹線博多開業で悉く廃止されたのを機に、スハフ43のかなりの数が四国に渡り状態の悪いオハフ61などを置き換えましたが、電気暖房化されたものは皆無で北陸地区への配備はありません(ただ、スハニ35の一部は生涯一度も特急運用に就くことなくローカル線で日の当たらない暮らしを強いられ人知れず消えて行ったものもあり、中には今は亡き川俣線でC12牽引の混合列車に入っていたり、両毛線でC50に牽かれたりした姿が記録に残ってます)。また、他形式への改造も入場中の火災事故で車体が損傷したためスハネ16に改造されたスハ4427以外はスハニ351→オヤ3352、スハニ352・スハニ353→オハニ402・オハニ403→後に両方ともマニ35化、そしてあと数両スハニ35がマニ35に改造された程度です。トラストトレインに使われるスハフ432・スハフ433は一族3両しかいない極めてレアなスハフ43原型車です(しかし3両中2両が今も生き残っているのは凄いかも?)。本当はスハ44の面影を残すスハフ4315も保存する予定でしたが話が行き違いこれは民間に売られてしまいました。またオハニ36も元は白熱灯の残っていた11番を確保する筈がこれはJR東日本に持って行かれてしまい、止む無く7番を確保することになったものです。とはいえオハニが確保できたことでその荷物室がトラストトレイン運転時には添乗ボランティアにとっての[スタッフルーム]並びに資材置き場として頗る役に立っています。また室内灯はその後他鉄道様の御厚意もあって部品の調達ができ今は白熱灯に復元されました。
すっごく詳しいメッセージありがとうございます。私も、北陸に住んでいるのですが、スハ44と言うのは、模型でした見た事がないのです。でも、これらの車両が昔は特急に使われていたと言うのは、今から想像も出来ないですね。また室内灯の白熱灯の事が書かれていましたが、私が学生時代に東北に行った時に、一杯旧型客車に乗りました。その時、車内のニスの色の違い、室内灯の白熱灯と蛍光灯の違い、さらに、2列についているか、天井の真ん中に1列についているか、などなど、色々ありました。乗っている時に思ったのですが、外から見たら白色の室内灯と電球色の室内とが入り混じっていて、こんなの、模型で表現できたらいいなって思ったこともあります。今は、もう思い出の車両ですね。トラストトレインなんて運転されるのですね。一度乗ってみたいです。
私はまだ生まれていませんが、いろいろ探ってみると北陸は凄いですね。他のブログも見てみましたがポートピア号はボンネットも入っていたそうです。ひだは金沢始発の大胆な列車運用の時代ですね。これが昭和60年3月のダイヤ改正からは一旦飛騨古川までしか行かなくなってしまいましたからね(私の持つJTB国鉄特急大カタログより)。
メッセージありがとうございます。昔は、国鉄で会社の境界が無かったので良かったですね。長野発の米原行旧型客車とか、色々ありました。でも、北陸本線は、この区間だけぽつりと交流電化だったのが、また異色の車両が走ることになったのでしょうね。もし直流だったら、旧型国電が一杯走ったかも知れません。特急も181系が走ったかもしれませんね。
津幡駅と言えば「ゼロの焦点」のイメージですね。
そうなんでうすか?ゼロの焦点も見た事があるけど、私はあまり津幡駅の記憶はなく、羽咋から三明へ行く列車が写っていたのを覚えています。
昔はね 蒸気機関車🚂 時も 手を振るとポーオと汽笛鳴らしましたね!この映像はピーィーだったねありがとう😊
そうです。電化前は、ディーゼル機関車も走っていたのかな?それとも、蒸気から電気になったのかどうか!
メッセージありがとうございます。最後の字幕間違い、ありがとうございます。こちら、修正して投稿やりなおしましたのでよろしくお願いします。列車番号は、当時の撮影記録と当時の時刻表を照らし合わせています。だから、貨物だけは、貨物時刻表まで買っていないのでさっぱり分からないのです。最近は、デジタルカメラで、撮影日時が記録されるので、家に帰ってから、映像ファイルの撮影時刻とダイヤを照合して割り出す事が出来て便利ですね。ダイヤが乱れると困るけど。
はるか昔に能登半島を旅行しに行った際の往復が急行能登でした。なんか思い出深い夜行列車です。A寝台・B寝台・グリーン車・普通車指定席(上りのみ)・自由席とバラエティー豊かな列車だった。行きは混んでたけどなんとか座れ帰りは指定席♪能登半島の景観より印象が強く残った。この映像は本当に見たかった。貴重な映像をありがとうございました(^^)
急行能登で能登半島に旅に来られたのですね。今では、考えられない急行列車で直角の椅子なのですからね。でも、それがこの当時の夜行列車だったのです。でも、関東で自動ドアーの山手線や総武線の電車などが走る時代に、秘境、能登半島へ旅をするのにふさわしい列車だったかも知れませんね。時代は変わって今は、新幹線ですがね。
母方の実家が新庄の近くにあってこの手の夜行列車は「おが2号」「津軽」に何度となく乗りました。(小さい頃上野発青森行き(奥羽本線経由)にも乗ったと聞かされたけど記憶がない)それと夜行列車好きでしたし(^^)能登半島の鉄道も輪島・珠洲、蛸島まで通っていたんですよね。なんか懐かしい。今の鉄道は快適な移動手段にはなったけど、それと引き換えに大事なものを失ったような気がする。
そうですね。この先、今の子どもたちは、今の鉄道しか知らないし、今の鉄道が当たり前だと思っているのでしょうね。
能登は上り下りとも普通車指定席連結してたような記憶が…越前は普通車は自由席のみだったと思います。
白い屋根のマニの白い部分は鋼板で灰色9号のペンキで塗られています。
そうですか。情報ありがとうございます。
自分はゆとり世代ですが今の列車より、こう言った列車の方が魅力的に感じます。
メッセージありがとうございます。今では、こういう列車、もう知らない人が多くなってきているのでしょうね。521系ですら、転換式のシートですから、これ、普通車は直角のボックスシートで急行だったのですからね。 でも、それがなぜか魅力なのかな?
@@HobbyVideos お返事ありがとうございます。別IDですが、同一人物です(笑)すみません、自分が住んでる地域はJR東日本のとある幹線の沿線です。走る電車は、ロングシートが多いのは我慢できますが、座席が硬いしボックスシートも狭いしカーテンがないので眩しいです。しかも編成も短くていつも混んでる。はっきり言って前の国鉄車両のほうが良かったです。521系のような転換クロスシートだったらまだ違う反応してたでしょうね。まあ転換クロスシートとか贅沢なことを言わないから、せめて日除けを付けてほしいですね。JR東海の313系のオールロング仕様すら羨ましく感じますよ。ロングシートでも席は柔らかくて日除けも付きますからね。JR東日本を始めとする鉄道屋の幹部はたまには電車通勤して客目線でサービスしてほしいです。
旧型客車の能登号、乗ったことがあります。東京~関西を移動するのにわざわざ北陸経由で....上野~金沢を能登号、金沢~大阪をゆのくに号。懐かしい思い出です。
そうですか、いつも東海道での移動ばかりしていて、飽きてきたのかな?まあ、東京から関西との移動は、色々出来ますからね。昔は、こんな列車が普通に走っていました。普通に急行として・・・・です。
@@HobbyVideos 中央線のちくま+アルプスもやったことがあります。
12:32 七尾線和倉温泉発金沢行き普通列車はその後優等列車昇格に伴い急行能登路2号→スーパー雷鳥12号→サンダーバード12号→能登かがり火2号と変動している
北陸はかつて上野から金沢まで走っていました。国鉄が分割民営化されてJR西日本とJR東日本に分かれました。
はい!でもしばらくは乗り入れ運転していましたね。
70080402 Mfk さんメッセージありがとうございます。返信の文字が出ていませんので、ここに返信を書きますね。1982年の3月の時刻表を見たのですが、能登中島に8:36に到着します。そして、たぶん8:53発の金沢行きになるのだと思います。 残念ながら気動車はもう走っていません。七尾線は今でもジョイント音が鳴って、旅の雰囲気が満点ですが、若い世代の人から言わせると、「なんちゅううるさいんや!」っと北陸本線ばかり乗っている人が、七尾線に乗った時に言ってました。でも、私のような、昔人間は、あの音が癒されるのですね。
西宮後と申します。七尾線の2扉ロングシート客車が凄まじいですね。あれだけ長いシートで混雑している時の車内はどんな雰囲気だったのか・・・私も子供の頃金沢駅で七尾線の客車列車を見たことがありますがその頃は既に12系客車になっていました。経費節減のためか白帯塗装が省略されて真っ青だったのですが後に475系が青一色に塗られたのを見て、この時の客車列車を思い出しました。
Sa Ma さん メッセージありがとうございます。私の友達が、金沢に撮り鉄にやって来て、その人から聞いたのですが、車内はどうだったのかは、聞いてませんが、「デッキに人がはみ出して乗っていた」と、言っていました。当然、ドアーは開けっ放しで、デッキの階段の下の部分に乗っていたと言う事ですね。七尾線ではないのですが、私が撮影した映像で北陸本線でも少し映像があります。ruclips.net/video/eqNVdv5F0oY/видео.htmlそれと、旧型客車から、12系の新型客車に変わる間に、レッドトレインの50系が導入されていた時がありました。ruclips.net/video/-l0J1zzUJUw/видео.htmlこちらに、レッドトレインが少し写っています。475系の青一色は、思い出しますね。12系を。
@@HobbyVideos 数日前にMROの夕方のニュースでそれらしき車内の様子が映ってましたね。(当時のスリや置引の手口を紹介するニュース映像で)
何度も見てしまいますねー😊
ありがとうございます。
はじめまして。懐かしい貴重な映像を拝見できて驚きました。ナレーションが『普通』で聞きやすいところも素晴らしいです(^.^;当時は子供で、鉄道雑誌をたまに買っては穴が空くほど眺めていました。
はじめまして、当時は子どもでも、今は立派な社会人。時の流れるのも早いものですね。まさか、こんなコロナが流行るとは思っていませんでした。
603レ・365レのスロ62懐かしいです。運用を離れた後も長らく金サワでその姿を見ることができました。グリーン帯がなくなったのは合理化で塗装(淡緑6号)をけちったためだと言われています。
メッセージありがとうございます合理化で塗装をケチったため・・・・それは、知らなかった。特急が、グリーン帯が無いので、それにそろえ始めたのかなって思っていました。
このレトロ感たまらないですね。汽笛の音もいいですね。
メッセージありがとうございます。この列車が、東海道では新幹線が走る時代に、同じくして走っていたのです。
今となっては、もう鉄道模型でしか見られない風景ですね。
そうですね、そう思って、この当時私はビデオを買ってすぐに撮影したのです。
絵本の「やこうれっしゃ」の時代ですね。私は10系寝台は保存車両やSLホテル程度しか見た事がありませんが晩年の姿はなかなか味わい深いですね。料金の事を無視しても、北陸よりも能登や越前を選んでしまいそうです。
絵本の「やこうれっしゃ」知っているのですね。あの絵本は、多分乗車した人が書いたのだと思います。金沢までEF58牽引になっていましたが、作者はしらなかったみたいで、それはそれで、他の描写はすごく良く描かれてますね。私も、北陸よりも、能登や越前を選びます。
@@HobbyVideos 【やこうれっしゃ】は愛読書であります。おっしゃる通り全編に渡って素晴らしいですが、私のお気に入りのページは深夜の水上駅?に停車中のシーンで若者がお茶と駅弁を買っているところですね。真夏に見ても「う~サブサブ」と一人で震え上がってしまいますね。この本をゆっくりと眺めていると、年末の慌ただしい上野駅から冬の北陸へしばし、旅をした気分になれます。平成から令和になっても新幹線で東京に行く際は、時間があれば上野駅の中央改札口や地平ホームを訪れます。かなり重症かもしれません。
あ!あの駅は水上駅なのですか。私はてっきり長岡駅だと思っていました。私も、あの絵本の上の駅の改札のカットを撮影しました。レストランからの撮影だったように思います。
@@HobbyVideos 確信はありませんが、ベンチに「水上~」と書かれてあったので。また補機にEF16を連結するため停車時間も長かったのかなと。それを見越して深夜でも駅弁を売っていたのかな?などと想像したうえです。実際の時刻などは確認していません。おじさんが持つヤカンの意味がわかるひとも減る一方かな。マンガ【美味しんぼ】にて「ローソクの味がする」と酷評されたかつてのお茶の味ははっきりと覚えています。
素敵な映像と、心地良いナレーションが大好きで、いつも楽しませて頂いております。10系客車☆重厚で無骨で、感動しました!!僕は北斗星世代なので、新鮮に映ります。
+Nukki Nukki さん メッセージありがとうございます。北斗星時代と言う事は、寝台列車が豪華寝台になり始めた頃ですね。昔は、個室の20系あさかぜがあって、その反面、普通の3段B寝台と、A寝台だけの時代がありました。そして青函トンネルが開通したのがきっかけだったのかもしれませんが、北斗星、トワイライトエクスプレスなどの、豪華個室が連結された列車が走り始めました。この映像は、まさしく、そんな列車が走る前の映像で、北陸も、日本海もB寝台とA寝台、急行は、旧型客車と言う、時代でした。鉄道模型では、見ているが本物は博物館でした見た事がないと言う世代になりつつあるのですね。
+国鉄時代の鉄道ファン さん、詳しいご説明、大変勉強になりました☆この映像撮影時、僕は4歳でしたwもう20年早く生まれたかったと残念に思う日々ですが、貴殿の貴重な映像によって、夢が叶った気持ちになれます。これからも、応援しております!!
+Nukki Nukki さん メッセージありがとうございます。みんな、古い列車に興味があるみたいで、よく、もっと早く生まれたかったって言われます。でも、今は、スマホでもビデオが撮影出来る時代で、とっても良い時代ですね。今は今の鉄道を残しておきたいと思います。
北斗星は洞爺まで乗りました。
まだまだ475系の普通列車は少ない頃でしたね。急行運用がなくなってしまったので、旧型客車の置き換え専用機として生まれました。
その通り。この当時は普通と快速が走っていたと思うのです。快速が475系で普通が主に旧型客車だったように思います。普通の475系も有ったようですが。
@@HobbyVideos 1980年代前半より急行運用が無くなった時に近郊型に改造して転用できなかったんですかね?私が思うに475系は電気機関車+旧客列車のスペックを大幅に上回っており、国鉄急行型に使われた台車は当時のものとしては東武8000系に次ぐ一級品、あの台車とMT54D電動機は雪国にも強いので近郊型に改造すれば、加速力は現代の3VFインバーター制御車にも劣らないスペックだったと思います。現に413系は鋼製車ですが加速はいいので、475系も近郊型に改造すれば旧客の3分の1の時間で米原~直江津間を走破出来たと思います。当時は吊り掛け駆動もかなり残っており、カルダン駆動車は抵抗制御であっても神同然の扱いで、田舎ほどカルダン駆動車を欲しがってたのだと思います。当時の日本、カルダン駆動の普及率が悪すぎるんです。そういうこともあり2015年引退した475系は普通列車としては30数年しか走ってないので、引退するにはまだ早かったと思います。
11:51 日本海4号 1988年から2006年までは函館発大阪行き
良き昭和レトロの時代の国鉄北陸本線急行越前号。能登号。EF81電気機関車牽引寝台特急北陸号。懐かしいです。
昭和ってついこの前と思っていたのに、平成も終わって、平成の前の時代なんですね。時の流れは早いものです。
配信を有りがとうございます❤やはり、夜行列車はこの車両ですね🎉夢の😌🌃💤話しですけど、もう一度機会が有りましたら、乗りたいですね😅どこでもドワが欲しい、ですね😭🌺お疲れ👋😍💋さまです🍀ご安全に☀️
今は、もう鉄道での旅情とか、旅などと言う時代は終わったみたいですね。鉄道ファンも、マナーが悪いのか知りませんが、これまで撮影出来ていた場所も入れなくなったりして、昔のような鉄道とのかかわり方、楽しみ方は出来ない時代の様です。
グリーン車の緑帯は、1980年頃からコスト削減(当時流行った合理化)のため、工場入場時に順次省略されるようになりました。だから1981年当時は過渡期だったので日によって帯が有ったり無かったりしてたんですね。あと、急行『越前』の機関車次位のマニ37や急行『能登』の機関車次位のスニ41、そして七尾線のオハ41型の映像は、地味ですがレアだと思います。
コスト削減のために、グリーン車の帯が省略されたのですか?当時、この急行能登をNゲージで作って見たのですが、このスニ41になる車両がどうしても売って無くて困りました。
俺は18歳ですが、この時代の車両はほんとみんなかっこいいと思います。最近の車両はなんか変な感じで嫌な気持ちにしかならないです。
メッセージありがとうございます。そうですね。昔の国鉄の人たちは、それなりに気合を入れて車両を設計し、作っていたと思います。でも、それが時代の流れによって、技術の進歩によって電気代の少なくて済むエコな技術が進み、こんな車両になってしまったみたいですね。塗料の進歩もあるようで、昔は屋根は、防水のグレーか銀色だったのが、今では青い屋根の電車なんて出てきて、こんなの初めて見ました。まあ、今の車両のデザインは、鉄道車両から少し離れて自動車のデザインっぽい気もせんでもないですね。
最近の車両もいつか懐かしいと感じるときがくるのは間違いないので、それを生で見ることができる今を大切にしておきたいものです。
客車車両とても個人的に好きです😄子供の頃、大阪へ行く際によく乗ってました
メッセージありがとうございます。そうですね。私も好きなんです。いまは、動力分散方式の電車、気動車になってしまい、もう機関車と客車の時代は終わったような感じですね。
帯が省略されたのは国鉄合理化の関係だったと思います
そうなんですか。
メッセージありがとうございます。色々と情報ありがとうございます。その辺は、さっぱり分からないところで、当時はなにしろ来た車輌を片っ端から写していました。当時、白黒のファインダーで後で、こんな車輌があったのか!って友達に指摘されて珍しいもんが、写ってたのか?てな感じだったのです。窓配置がちょっと独特なんですね。やはりナニコレ珍車ですね。(笑) 汽笛の件ですが、あの場所は、線路のすぐ横ではなくて、何本もの線路を隔てたところから撮影していたのですよ。それでも、目立ってたのですかね?「サービス」なのか、知らないけど、みんな鳴らし方が同じようで(笑)
荷物車にA寝台車、B寝台車、グリーン車、そして普通車の編成。今では2度と見る事が出来ない貴重な編成ですね。
そうですね。東北の方も、いっぱい走っていましたね。津軽とか八甲田とか。
昭和56年ですか、懐かしいですね。私が鉄道に興味を持ったのは123等急行銀河、彗星、月光などの時代です。当然新幹線、ブルートレインなんてありません。特急は全国で「つばめ」「はと」「かもめ」「はつかり」しかありませんでした。「はと」の特別3等車(今で言えばリクライニングしない背もたれが直線的なグリー車)に2度ばかり乗ったことがあります。12時半大阪発21時東京着、8時間半でした。手書きの特急券まだ持ってます。ご存じでしょうが大阪↔青森間の普通列車が36時間かけて走っていました。急行「日本海」で24時間近くかかりましたから。不便でしたが、移動の手段と言うより楽しい旅でしたです。
メッセージありがとうございます。そうですか。日本が大きかったのですね。今は、新幹線が走り、だんだんと日本が小さくなってきましたね。大阪ー青森の普通列車なんであったのですね。36時間って1日以上もちろん、夜行を昼行。それの進化したのが、特急トワイライトエクスプレスになったのかな?でも、昔は、それだけの時間がかかることが、当たり前でみなさん不便とは思わなかったのでしょうね。逆に、今の時代、スピードは上がっているのに、普通列車で旅をしようとすると、細切れで乗り換えしないとだめで、さらには乗り換えの連絡がわざと悪くして、特急に乗らせるようにしている方が、不便ではないかと思います。
これは貴重な動画ですね。急行客車編成には感動ものでしかも急行電車に気動車特急が記録されているので私には正直たまりません。更に動画を紹介してくれると嬉しいので、今後も宜しくお願いします。
まあ、私の好きな急行能登、特急ひだが走る津幡付近の早朝なのです。ビデオ買って、嬉しくて、早起きして撮影に行きました。
ユートピア和倉は知っていますがポートピアがあったのは初耳です。!そんな特急があるのですね!
ポートピアは、神戸での博覧会が有った時だけの臨時的な列車だったと思います。ユートピア和倉は、定期列車でしたね。
'81年というと、この頃の14系や24系はB寝台が「3段式」(いわゆる『1つ星』)だったんですよね。
メッセージありがとうございます。ごめんなさい。そこまで分かりませんが、東海道を走っていたブルートレインは三ッ星でしたよね。
3:48周りの白い屋根、張り上げ屋根のマニ36ですか?レアですね。
メッセージありがとうございます。そうなんです。私は、何も思わずに撮影していたのですが、当時撮影直後にこのビデオを見た友達が、メモ控えて調べてみる、なんて言ってました。
3:03 からの荷物列車に組み込まれていた、屋根が白い荷物車ですが、これはマニ36に数両いた、張り上げ屋根車ではないでしょうか?窓割りからみるに、オロ40の初期車を改造したものと思われ、屋根が白く見えていたのは、茶色い部分に光が反射していてそう見えていただけだと思います。もう何年も前なので、もう解決しているかもしれませんが…
メッセージありがとうございます。私も、あまり荷物車には興味なかったので、ただやって来た列車を撮影していたくらいで、あまり詳しい事は分かりません。過去にも、この車両に関してメッセージを頂いたのですが、今探してみると、ちょっと見つけられませんでした。まあ、知っている人は知っているようで・・・・
富山地方鉄道の電鉄魚津駅のガード下からよく眺めていた。
なるほど!今から思えば、こんな列車が走っていたなんて信じられないかも知れませんね。
EF70の走行シーンは初めて見ました。前パンで入線するシーンもありましたが、北陸本線では一般的だったのですか?北海道では小樽側のパンタ固定でした。
EF70のパンタの件なのですが、私のチャンネルにメッセージを頂いた方の情報では、EF70は、進行方向が変わるたびに、後ろのパンタに変えると、一度電源が切れて、また色々と再設定をしないといけないようで、電源を切りたくないためにパンタは一定方向にしたままだそうです。
國鐵金澤!良い映像ですね👍
東海道新幹線が走る同じ時代、北陸本線にはこんな列車が走っていました。
1981年4月4日まさにこの日、福井発上野行、急行越前に乗りました。当時15歳、友人と二人、北陸周遊券で、旧型客車に乗りまくり、北陸地方の鉄道を貪った最終日でした。懐かしすぎます。貴重な映像ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
そうですか。
では、この列車の折り返しだったのですね。
15歳で鉄道の旅って羨ましいです。
@@HobbyVideos 私が初めて鉄チャン旅したのは1年後の1982年3月、18きっぷ登場直後に夜行日帰りで富山港線の旧国に乗りに行きました(単なる自慢)‼️
私この時代には生まれてなかったのでこのような動画を上げてくださる事はとてもありがたいことです。一度は見てみたかった車両が沢山あります。
車両のバリエーションが豊富で本当に見ていて飽きないです。本当にタイムスリップして撮影してみたいです。
タイムスリップですか?
でも、歴史を変えてはいけないのですよ。
もし、この時代に行って、撮影したとしても、それを現在に持って来ては行けないのでは。
(SF映画の見すぎかも)
昭和56年この時まだ僕は5歳で当時は極々普通の光景でしたけど、こうしてビデオで振り返ると国鉄電車全部良かったですね。人と人との繋がりも普通にあり、のんびり平和でいい時代だったと思います。
なるほど、でも5歳でもこの当時を知っておられるのは、良い事ですね。
貴重な映像をありがとうございます。
この頃の列車編成を模型でも再現して走らせていると、何とも言えない旅情に浸れます。
そうですね。私は13mmゲージなので、中々再現出来ないんですけど、何とも言えない旅情がありますね。
最高すぎます。今こんな列車走っている所あったら引っ越すよ。
貫通扉は閉めてなくて鎖のみが好きです。
メッセージありがとうございます。
そうですね。今の時代なら大井川鉄道かも、北海道のC62の列車はまだやっているのかな?
でも、今の時代から、今の時代にしか引っ越せないんですよね。
過去に引っ越せたら、いや、時間旅行で良いから できたらどんなにすばらしいことか。
今のフルハイビジョンのカメラを持って、急行「能登」や「越前」を撮影に行きたいですね。
@@HobbyVideos もしスマホで越前等の列車を撮りRUclipsにupしたらどうなってしまうでしょう?( *゚A゚)
克己 大塚さんより頂いたメッセージです。
ヨダレが出る列車が目白押しですね。
???と思われている荷物列車の3両目ですが、元国鉄某○砂工場にいらっしゃった方によると、屋根が鋼鈑に張り替えてあるので、マニ36であろうという事です。私もそう思いますが、何だか窓配置がちょっと独特だし、恐らくオハ35が種車なのでは?と思いますが如何でしょう?
「警笛鳴らされた」との事ですが、80年代ビデオカメラなんて持っている人はかなり少なかった筈ですし、機関士さんからも目立っていた筈です。汽笛は恐らく「サービス」ではないでしょうか?
10系客車は聞いたことはあっても見たことはありませんでした。ありがとうございます
メッセージありがとうございます
ここに映っているのは寝台の10系客車なんですが、座席車の10系客車もありました。
北陸では、旧型客車に交じって10系客車が走っていました。
金沢出身の鉄道好きの者です。あまりに貴重な映像をありがとうございました。涙が出そうになりました。
メッセージありがとうございます。
金沢出身と言う事は、今は東京かどこか金沢以外の所でお住まいなのでしょうか?
私も、昔若い頃、東京で暮らしたことがあるのですが、当時、この列車が走っていたころ、よく上野駅まで見に行きました。
東京のロングシートの電車ばかりの生活に、金沢の町が懐かしく思えたりしたものでした。
懐かしい。国鉄形そろい踏みですね。実車音もあって素晴らしいです。私は東海道沿線に住んでいましたが485・583系の雷鳥、153系急行、EH10/EF58/EF60/EF65などなど今でもよく覚えています。
TheHekoayujp さn
メッセージありがとうございます。こんにちわ。
東海道沿線に住んでいたと書いてありますが、雷鳥などが見ることができたと言う事なので、京都と大阪の間なのでしょうね。
私も8年ほど関西に住んでいたのですが、近鉄沿線で国鉄はほとんど縁が無く、雷鳥なんかを大阪駅で見ると、遠い知らない街に旅をしてみたいって良く思いました。
国鉄が分割民営化されてJRになりました。
生まれる遥か昔の動画なのにどこか懐かしさを感じる。
不思議ですね。
国鉄時代の車両が大好きです。
自分は昭和45年生まれ、やっぱり国鉄時代が馴染み深いです。
10系寝台+旧型客車すばらしいですね!✨
私と同じ方ですね。私も今のJR車両は性能は良いのですが、デザインが好きになれません。
なんとゆう楽しい駅でしょう!タイムスリップして一日中見ていたいですね。今の少年鉄道ファンは少し可哀想とさえ、思えてきます。
14系寝台車のドア部分、ちゃんと白帯が入ってますね。当たり前かも知れませんが、動画で初めて見ました。
メッセージありがとうございます。
こんな列車が来るのは、早朝と夜だけですよ。
後は、キハ28・58の七尾線と、北陸本線は、旧型客車に475系に485系、当時は全て国鉄色のみでした。
今の少年鉄道ファンはこの先リニアや四国新幹線見れるからそれはそれでいいのでは⁉️
@@psychedelicraspberry1457 それもそうですね。
僕だって蒸気機関車時代のことは知らないし…。
ナレーションがとても聴きやすかったです。懐かしい列車の映像をありがとうございました。
どういたしまして。
とても懐かしく拝見致しました。子供の頃家族旅行で越前に乗った記憶がよみがえりました。ありがとうございます。
どういたしまして!
旧型客車時代の越前、能登の貴重な映像楽しませていただきました。客車列車ブルトレファンにとってはたまらない映像でした。
メッセージありがとうございます。
そうですか、まだ少しあるので・・・・といっても、急行能登や急行越前の特集ではもうアップしています。
あと、特急北陸と特急日本海の映像の特集がまだなのですが、またそのうちアップしますのでよろしくお願いします。
懐かしいです😊急行安芸思い出しました😭糸崎駅で、E F 58から、C 59に付け替えて呉線経由で、呉まで里帰り☺動画ありがとうございました🙇
メッセージありがとうございます。
急行安芸もこんな感じの列車だったのですね。
昔は、一杯こんな列車は知っていたのにね。
母親が津幡出身ですので毎年お盆の一週間だけ滞在していました。
到着時の独特のアナウンス懐かしいです。
富山方面行きのホームにあんころ餅を売ってるおじさんがいましたね。
七尾線のディーゼル車も中に入ったときの独特の匂いも思い出します。
素敵な映像ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
津幡の駅も聞いたところ、今は改装工事を行っているようです。
ふるさとの思い出の風景が少しづつ消えていくのは仕方が無い事かもしれません。
こんな、ビデオでもその当時の雰囲気、空気を感じていただいて、嬉しいです。
あんころ餅は、松任の名物で、昔は松任駅でも良く売られていました。
津幡で売っているのは、知りませんでした。
今の列車は、窓が開かないので、ホームでの商売も出来なくなってしまったのでしょうかね。それとも、列車を待っている人たちが、買わなくなってしまったのでしょうかね。
でも、キオスクには、売っています。松任郵便局にも売っていますよ。
ピィーっ の後のガチャン♪って連結器の音がたまらない(=^・^=)
メッセージありがとうございます
乗っている人は、ショックがあったでしょう。
今は、いつ動き出したか分からないくらいスムースに発車するけど、昔はこんな発車が良くありました。
客車列車が駅に停まると、まず機関車だけブレーキをかけて、客車はブレーキを緩めるのです。
すると、ちじんでいた連結器が伸びて、一番後ろの車両なんかは、少しバックするのです。
そして、ゆっくり発車させると、あまりショックが無いのですが、なにぶんそううまく行かないようで、トワイライトエクスプレスの発車も時々、ガシャンって発車する時がありました。
Hobby videos 39 さん
貴重な映像をアップロードしていただき、ありがとうございます。
確かに止まってからもバックしてましたね。
後ろの方の車両だと、汽笛の後、連結器がガチャンガチャンと音がして、静かにスゥーっと動き出すのがとても趣きがありました!
この、プル動力車の特徴で
引っ張られると順次がっくん
と振動が伝わるのがいいんで
すよね😊寝れ無いけど😂
関東に引っ越した後、兵庫への帰省時に青春18きっぷを使って友人と鈍行三昧で帰った時、山陰方面で冒頭の白地に青線のゴーパーサン改のデコスケ電車に乗りました。たしか、ぎりぎりで20世紀だったかと思いますが…懐かしかったです。
本年もよろしくお願いします。
色んなあだ名があるようで、デコスケ電車って呼んでいるのですか?
北陸では、よく聞くのは、食パン電車って言ってます。
どっちにしろ、あまり良い印象は、受けないですよね。
中は、さすが寝台特急の車内で広々としています。
「ひだ」がなんで津幡駅を通過しているのかと思っていたら、この時代は富山からスイッチバックして金沢まで運行されていたんですね。
初めて知りました!
ありがとうございます✨
いいえ、どういたしまして。
はじめまして、貴重なそして懐かしい動画をありがとうございます。
10系寝台車が好きでよく上野駅で発車を見送ったり、到着列車を
見に行っておりました。周遊券で全線走破とかしていた頃で懐かし
い。寝台車は乗れなかったな~、寝台料金も節約して旅していまし
た。
いやいや!旅を楽しむなら寝台車なんてならない方が良いですよ。
やはり座席車で旅を楽しまないと。
寝台車は、仕事などで、とにかく体を休めたい時に乗る方が良いと思います。
懐かしい。昭和30年代に黒部市に田舎あった頃小学生だった自分は上野発のSLとこんな客車乗って行ったものです。窓の閉開けが出来て沿線の空気の匂いがたまらなかった。清水トンネルでの煙幕は凄かった。
メッセージありがとうございます。
昭和30年代・・・・・私が幼いころです。
東海道本線に特急「こだま」が走っていた頃ですね。上野からSLだったのですね。これまた凄いですね。でお、当時はこれが普通だったんですからね。
敬意の警笛かも この時代風に呼称すれば 貴重な鉄道愛好家。。。
なのかな!この警笛!
ファンサービスの警笛でしょうね?
結構運転手さんに手を振ると警笛鳴らしてくれたり、手を振って返してくれたりありますもん。
鉄道好きで、おんなじ仲間という感じでしょうね!
素敵な世界です。
良き時代の懐かしい光景ですね。以前転勤で富山に7年暮らした事がありこの界隈も訪れた事がありますが1989(平成元)年~1996(平成8)年までの間でした。1981(昭和56)年と言えば丁度ロザの帯が消され始めた頃ですね。これは1978(昭和53)年だったか塗装規定が変わりロザのグリーン帯が省略されるようなったもので対象車両は検査入場する際に消されるようになっていきました。
元々ツートンカラーだった電車・気動車では編成全体の統一感もあってか然程違和感が出なかったものの、客車ロザの帯無しは何処か間の抜けた物足りない印象でした(1969/昭和44年まではロネ車にも帯がありました。これも1等寝台からA寝台に変わった際帯が省略されたものです。こちらは年月が経っていたせいか?当時ブルトレ以外のロネ車はオロネ10・オロネフ10そして合造車オロハネ10だけだったこともあってかあまり違和感はありませんでした)。
急行越前・能登の最後尾車輛の貫通扉の色ですがこれは近代化改造工事を受け持った工場によっての違いが色々ありました。本来は車体色に塗るべきですが、車内と同じ色に塗る例も多々ありました。尚最初の越前のみ一族僅か20両の希少車オハフ45原型車ですね(他にオハ46から緩急車化されたオハフ45101~が11両、スハ43の内自重が軽くオハ46に編入されたものから改造されたオハフ45201~が9両存在します。貴動画に登場するのはいずれも電気暖房装備の2000番台ですね)。
荷物列車の屋根形状の違いですがこれは昭和10年代に流行った張り上げ屋根車ですね。当時屋根は鉄製の梁に木の板を打ち付ける構造でしたが其処も鋼製にすることで軽量化を図ったものです(丁度電車の世界でモハ52が登場した頃です)。車体もノ―シル・ノ―ヘッダーにされたものも結構いたものです。
七尾線の気動車列車、オールキハ58・キハ28の編成は急行列車編成の送りこみの輸送力列車だったのかも知れませんね。また、DE10牽引の客レ、オハ41がかなりの数繋がっていますね。この独特の窓配置は改造元の車輛の面影を今に伝えています。
これは昭和30年代だったか、地方線区のローカル列車にロザの連結を止め、且つロザを所謂特ロ=リクライニングシート装備車=に統一するこになり、更に冷房化される車種もその後の需給を見据えて集約(ナロ10・スロ54・オロ61・オロフ61、重量区分が変わりナロ10→オロ11、オロ61→スロ62、オロフ61→スロフ62になりました。スロ54もマロ55になったのですが流石にまだ蒸機牽引も珍しくなかった当時それではまずいとのことで台車を振り替えたりでス級に抑えてスロ54の形式変更なしとしました。マロ55になった2両=26・29=もスロ54に復帰しました)され、不要になった並ロ・あぶれた特ロが格下げされ、更にラッシュ時の収容力UPのためロングシート化されました。
貴動画に出て来るオハ41はスロ51・スロ53辺りから改造されたものですね。確か300・350番台あたりになるかと…
長々と取り留めもない文章で失礼しましたm(_ _)m
メッセージありがとうございます。
津幡でのビデオから、これだけの情報を教えていただき感激です。
そういえば、オロネ10なんかは、緑の帯が入っていませんでしたね。
でも、この帯なんですが、キロ28やサロ165などの急行用には、入っていたのに、181系や485系581系などの特急には、昔から入っていませんでしたね。
特急には、帯は入れない。急行以下の車輌には帯は入れる・・・・・と言うこれも、国鉄の規則だったのでしょうか。でもなぜこの規則ができたのでしょうかね。
昔、私が子どもの頃、キハ55が、京王電車の5000系のような黄色の車体に赤い帯びの塗装だった頃、当時1等車は、赤の帯の部分が、グリーンの帯びでした。でも、私あの配色は、いまでも忘れられなくて、覚えています。赤の帯もちょうどグリーン車の帯と同じ幅だったので、なぜかグリーン車だけが帯があるのではなく、全体に帯があってその帯の色だけが違うと言うのは好きでした。
それが、ツートーンの塗り分けになると、なるほど、特急の塗装と同じく統一感があってか良かったのかもしれませんね。客車の帯なしは間の抜けた感じ(笑)。そうですね、なんか、あの帯が長い列車にアクセントになっていたのかも知れません。当時は、普通列車も、急行列車も同じような車輌で、あの帯が連結されていると遠くから見ても、
「あ!急行だ!」
って分かるのが、嬉しかったように思います。
張り上げ屋根なんですが、私鉄の電車は、遠の昔から張り上げ屋根の電車が多く作られていたのに、なぜ国鉄は張り上げ屋根はほとんど無かったのでしょうか。
キハ28,58も、一部キロ28の2000番は、張り上げ屋根ではなかっらり、それより新しい、キハ65も張り上げ屋根ではなかったりしていますよね。
私自身も、これほど詳しい事は分からなかったのですが、また別の人もこのメッセージを参考にしていただけたらと感謝しています。
わあ、懐かしいですね。雪も降ってるし北陸らしいです。ありがとうございました。また訪問したいです。
ビデオ買って間もない頃の撮影です。
10系・・・涙チョチョ切れる!!!また乗ってみたいなあ。
メッセージありがとうございます
もう走っていないですね。10系寝台。
kojiharuraicho489 さんメッセージありがとうございます。
この当時は、このような列車ばかり走っていました。
でも、旧型客車は、まもなく無くなるであろうと思っていたので、良く撮影にでかけました。
七尾線の客車なんですが、この時期に50系の客車が導入された事もあったのですよ。それは、また後ほどアップしたいと思います。
1982年4月、急行「越前」のスロ62に上野~津幡乗車しました。
当時を思い出しながら動画を拝見しました。
機関車牽引列車が定点で警笛を鳴らすのは、駅立ち番へのあいさつと思います。
かくいう私も国鉄時代に某駅で立ち番の経験があり、
ホーム入線時に機関士に敬礼すると短笛で返礼されました。
なるほど、そういう事ですか。そして、「○○列車 定時通過」と確認するのですね。
大変、貴重且つ懐かしい画像を多数ありがとうございます。
当方、JM歴32年のモデラーで、北陸筋の国鉄型車両を中心に製作をしており、貴殿の貴重な画像に大いに刺激され、後を押されています。
122レなんかは最高ですね、当方もこの列車を製作途中で鋼体は既にほぼ出来ており、電装で中断しています。
最近ではDD50一次型、二次型等、過去においては金鉄局お座敷列車、603・606列車急行越前等が誌面を飾っていますので、どこかでお目に触れているかも知れませんね。
また、荷物列車3両目ですが、既にコメントされている方もおられますが、大ミハのマニ36-2058で間違いないでしょう。
この2058は18年前の”とれいん誌にて製作記事を書いたことがありますので、画像を見て即座に判りました。
当工場、北陸筋の国鉄型でも旧型客車の占める割合が高く、今後も刺激を頂戴したく思いますので、よろしくお願いします。
+松任工機部 さん メッセージありがとうございます。
いやーJM歴32年ってすごいわ~!
私なんか、去年初めてJMの部品も、何とか手に入るのか!ってわかってやり始めたとこなんです。
485系に475系、EF70、旧型客車、が主でしたね。そしてキハ28・58のしらゆき。
私は、これまで16番のJゲージのトワイライトエクスプレスが有るので、それをJMに改造中。で、途中からDCCのコントローラーを友達から頂いたので、また、その勉強でストップしています。
JMゲージは、スパイクモデルが主なんですが、どんな車両でも作れるくらい、パーツは豊富ではないので、出来るところからと思っています。
とにかく、EF81がJMに改造できそうなので、よかったなって思っています。
また、よろしくお願いします。
はじめまして。
国鉄時代の鉄道ファンさんのファンです。
この動画は何回も見ました。
この時代の能登と越前は中学生だった当時の私は夜行なので、見たくても見れなかった貴重なものでした。
今こうやって見れてうれしい😃限りです。
本当にありがとうございます😊
おかげで、この動画を元に能登&越前をNゲージで揃えられました。
とにかく、貴重な動画をありがとうございました🙇♂️
メッセージありがとうございます。
今は、Nゲージはほとんどの車両がそろっているので、良いですね。
私も、この列車が走っている当時、能登の編成をそろえたのですが、ほとんどが、グリーンマックスのキットを組み立てて作りました。
ただ、先頭の荷物だけが売って無くて、あり合わせの貨物を繋いでいました。
お返事、ありがとうございました。
そうですね。マニ37もスニ41も普通にありますしね。
国鉄時代の鉄道ファンさんの動画を見るとあの頃に帰りたくなります(笑)
まあ時間は戻りませんし、もう、北陸にも初の標準軌の鉄道が開通して、東京まで2時間30分くらいで行ける時代になって、どんどん変わって行きますね。
ただ、東海道新幹線が開通してからもう50年くらいは経つのに、時速260km/hしか出ない新幹線を開業するなんて、ちょっと北陸をバカにしているようにも思います。
快速ムーンライト九州(14系)、寝台特急あさかぜ(24系)はよく乗りました。客車が好きでした。機関車に引っ張られてゴクゴク客車に振動するのがたまらない。もう客車は無いかはな~
大井川鉄道とか、イベントで客車列車走っていないかな?
JNRkazu さん
メッセージありがとうございます。(2013/11/5の返信です。)
キハ82は、キロとキハがドアーを向かい合わせに連結します。
キシを連結するときは、このキロとキハの間にキシを連結するのが普通なのですが、北海道の1986年に乗った時は、キハ82のすぐ後ろに、キシが連結されていました。まあ、これは、ちょっと変則てきですね。
電車は、国鉄時代の新性能電車からMとM’とかで2輌ユニットで直流も交流も走っていたのですが、両方ともモーターが付いていて、違和感が無かったのですが、最近は、M'がモーターが無くて、クハやサハになってしまったみたいで、まあこれも時代のながれなのでしょうね。
模型は、もともと、HOで始まった私で、Nも持っていますが、自分で色々作るのは、HOが大きくて作りやすいので、HOを手作りで作っています。
今は、プラのHOも安価に買えるようになっていいですね。
食パン電車の改造発想が興味深い。
高崎線や宇都宮線では今は普通列車では全て4ドアですが、1980年ではまだ客車普通列車が運用されていたんですよね。
北陸本線は、交流電化だったので、客車列車が残ったのではないかと思います。
直流電化だと、新方地方などの、旧型国電など、色々と走れたんだけど、交流電化と言うのが客車列車が残った理由ではないでしょうか。
ものすごいロマン。かっこいい。この時代にはまだ全然生まれてなかったけどさぞ楽しかったんだろうな〜
「かっこいい」ですか?
今日続々と新しい車両が設計されて、新車が誕生していますが、今の設計者も、「かっこいい」と考えて新車を作っているのではないかと思うのですが、改めて、昔の列車が「かっこいい」と言われると、複雑な気持ちにあります。
@@HobbyVideos 思い入れがあるせいか昔の列車の方がシンプルでカッコよく見えますね笑
昔の車両って、鉄道らしい形をしていたように思います。
今は、自動車のようなデザインになってきているような気がします。
貫通扉なし、全面フロントガラスは1枚ガラスとかね。
この頃、東海で撮り鉄していた私には、北陸は行きたくてもいけないとても遠い地でした。
そうですか、でも上野駅に行くと北陸方面への列車が見る事ができたと思います。
津幡駅を降りてすぐ近くに実家があるので
メチャクチャ懐かしいです、あの昔の跨線橋、子供の頃に渡ったの覚えてます !(^.^)!
実家があると言う事は、今はそこに住んでおられないのですね。
@@HobbyVideos 今は従兄弟が住んでいます
10系客車を復活してほしい。とても味がある。ちなみに乗ったことがない。また、七尾線はその当時最大8両編成で運行しておった。しかし今年から順次、2両ないし4両になるので寂しい。
もう、帰らない時間の流れでどうしようもないですね。
私は、思い出の車輛を、模型を作って思い出に浸っています。
@@HobbyVideos 是非レプリカでも製造してほしい。
自分も地元で生活をしているので·凄く懐かしいですね·貴重な動画を視聴させて頂いて·有り難うございます
どういたしまして。
色々乗ったことがあるのですが、スロ54や62の様な、旧客ロ座にだけは一度も乗らずに終わりました。あの帯に憧れた日々も、今は昔。
スロ54などのグリーン車なんですが、昔急行「きたぐに」が普通車が12系だったのですが、グリーン車がこの旧型客車の車輛だったのです。なんか、違和感を感じました。
そう思えば、12系のグリーン車とか、14系座席車のグリーン車ってなかったですね。
貴重な映像をありがとうございます。臨時特急ポートピアはその当時神戸のポートアイランドで行われていた博覧会の為の列車ですね。たしか神戸行きだったと思います。後の神戸雷鳥の元祖です。急行越前って懐かしい列車ですね。旧客ロザは60系の冷房改造車ですね。この頃はロザの等級帯やブルトレのヘッドマークは段々省略されていた時期です。確か東京ブルトレしかつけていなかった筈です。急行の旧客も10系座席車が入っていないのがかえって良いですね。まだ、編成が長いですね。今は、列車本数を多くする変わりに短編成になっていますね。昭和60年迄はこの様な感じで編成が長いです。
メッセージありがとうございます。
当時の事を鮮明に覚えておられてうれしいです。
でも、当時はこうだった!って言うのが、何とか残せないかと当時は買ったばかりで必死で撮影しました。・・・・失敗続出。
この当時は、グリーン車の帯が付いた日と無い日とまちまちでした。
ブルトレのヘッドマークがだんだん省略されていた時代だったのですか?
それで、日本海なんかは、ヘッドマークがなかったのですね。
末期は、また復活したようですね。廃止直前はヘッドマークを付けて走っていました。
ヘッドマークは、国鉄時代の特急を表すマークですね。
JRの681系や683系にヘッドマークが無いのを最初みたら、なんかまぬけな感じがしました。・・・・今は見慣れましたけど(笑)
編成は、当時は普通列車でも、客車10両とかありましたが、今は朝6輌、それ以外は2輌か4輌ですね。
急行越前 懐かしいです。上野口で到着を待って、ただ唯オロネとスロ それに荷物車からの荷捌きに興味深く夢中だったように思います当時の牽引機はEF57でしたよね。
遠い記憶ですけど、早く大人になりたい!こんな夜行に独りで乗ってみたい そう夢見てました。
しかし、さすがに オロネ10には間に合いませんでした。
先日、のと鉄道復興で桜を見にいきました。能登中島駅や田鶴浜駅のホームが長かったのはこれが乗り入れていたからなのですね。
はい、能登鹿島駅は普通列車しか停車しないのですが、20mの車輛が多分4輌位は止まっていたと思います。
いや〜、今となってはとても貴重な映像かと思われます。当時は普通列車がDC、気動車が長編成が当たり前だったんですよね。それが今ではシングルアームのパンタグラフの電車が2両編成となり時代も変化したのがちょっと寂しいですね❗️
まあ今は合理化されたと言う事かな。
逆に言うと、昔は無駄な事ばかりやっていたと言う事になるのかもしれません。
それと、車社会が進んで鉄道の利用者も減って来た事もあるのではないでしょうか?
お初にお目にかかります!
貴重な映像ですね!
私はこの時代に生きていなかったので、客車列車や急行列車、まして荷物車が闊歩しているのをみたことがありません。(幼少期に富士・はやぶさを一度見た記憶がありますが)
客車列車特有の「ガタンッ」と動き出す感じ、最高ですね!
寝台車も旧型客車も普通列車も、映像に映っている車両たちに乗ってみたかった……!
そうですか!
客車列車でトワイライトエクスプレスや、日本海は、見たことがないでしょうか?北陸の方でしょうか?
旧型客車はまだ、大井川鉄道で走っていると思います。
私も、一度乗りに行きたいのです。
@@HobbyVideos 東海地方の山岳生まれです。トワイライトや北斗星など、最後まで走っていた客車列車は乗りたかったし見たかったです。あまり都市部に出ないので、鉄道は遠い存在でした。
旧型客車好きの方には、それなりに楽しめる映像ですね。張上屋根のマニ36は、その当時拝見したことがあります。オハ41(旧特ロのスロ51)をこれだけまとめて見たのは初めてです。何げに貴重な動画ですね。特ロ時代末期は青15号塗装だった筈なのに、格下げした途端にぶどう色2号に戻ってしまったところに、何か哀愁を感じます。
この当時は、ビデオカメラを買ってすぐの時の映像なので、あまりうまく写っていませんが、それなりに朝の長距離列車を撮影しました。当時のカメラは、なかなかホワイトバランスや絞りなどの調整がやっかいで、今とは違って、使い慣れないカメラでの映像。採り方もいまいちなのですが、それなりに楽しんでもらえてうれしいです。
オハネフ13とはまたレアな……
オハネフ12の波動輸送用バージョンで、最期は格下げされて金沢と尾久に集められて横軽越えしてたやつ……
オハネフ13とオハネフ12って、そこまで分かりませんでした。とにかく、来た列車を撮影するのに夢中でした。
大変貴重な映像をありがとうございました。急行越前、急行能登、寝台特急北陸、いずれも縁のある場所を通るので身近な存在ですが、残念ながら14系最末期の北陸に乗ったことしかありません。越前は信越廻りなので一番後ろはオハフ45でしょうか? KATO製品とは異なり、編成中にアルミサッシ車がたくさん入っているのには驚きました。映像にも収録されているオハネフ13は欠かせないですね。欲しいなぁ。
やはり、この時代はもうアルミの窓枠の車輛を多く使う時代だったのかもしれません。
表日本では、新幹線が走っている同じ時代に、こんな急行列車が走っている、アルミサッシの窓枠の車輛は、少しでも当時の今の時代に近づけたかったのかもしれません。
国鉄と言う響きがとても懐かしく感じます♫よく硬券切符集めてました♫
そうですか。
私もまだ持っていますよ。硬券。
でも、昔って、あのような硬券を売れるか売れないか分からないけどあらかじめ作って駅に置いてあったのですね。
今は、切符を買ったら、出てくるので、無駄はないけど、昔はそれを、無駄とは言わなかったのですね。
それが、普通の時代だった。
う~ん、今からみれば夢のような光景ですね…。
メッセージありがとうございます。
そうですね。
当時でも、もうこれは貴重だと思ってビデオを買ってすぐに撮影に行ったくらいです。
グリーン車の帯省略はモノクラス化に伴う工程省略です。
行程省略ですか。特急は、帯がなかったですね。急行以下の車両が帯があったのですが、私は帯があった方が好きです。
7:01~ 「何だ~コレか・・・」よく分かります^^。
確か、、急行「立山」「兼六」「くずりゅう」なんかも同じカラーでしたよね~ぇ。
当時はごく当たり前の光景、、メチャ懐かしいです。
今は、北陸在来線もスッカリ変わってしまい・・・
・・・一連の大変貴重な動画、、うpに感謝ですw。
+TheJackmaster7 さん メッセージありがとうございます。
今は、この国鉄色が白や青に塗り替えられて、おっとその前に赤に塗られていた時もありました。
そして、今は金沢総合車両所で順次解体しています。
外からは見えませんが、黄色い重機のブームが奥の方で動いています。
貴重な動画を有難うございます。
どういたしまして。
とても懐かしい映像有難うございます。
最初のは急行越前でしょうか?グリーン車に母親と乗ったことあります。私が切符を取ったのですが
母親が寝台の方が良かったと文句を言われたのがいい思い出です。
津幡駅といえば以前ホームに立ち食いそば屋がありましたね。
そうですね。最初は越前です。
グリーン車は眠れましたか?照明は暗くなりますよね。
津幡駅、この当時の立ち食いそばがあったかどうかは、よくわかりません。
JNRkazu さんより頂いたメッセージです。
地元の駅の国鉄時代の映像は貴重ですね。
荷レに組み込まれている白屋根の車両はマニ36張り上げ屋根車ですね。オロ40やオハ35からの改造車にこのような形態がありました。
七尾線からの金沢行きに組み込まれている首都圏色の車両はキハ53ですね。七尾機関区にはキハ23が配置されてなかったですから。ちなみにこの3年後、キハ53は揃って米子機関区へ転属しています。
4月4日の北陸と、4月5日の能登を牽引しているのはもしかしたらEF81 27号機かもしれません。27号機は2エンド側の20系用ジャンパ栓受けを撤去しており、スカートに大穴が空いている変形機です。現在もJR貨物に在籍する注目車です。
米子に転属したキハ53に1984年8月に木次線で乗りました‼️
はじめまして。懐かしく拝見させていただいてます。
汽笛の件ですが駅通過の際に運転助役の列車監視に対する機関士の挨拶みたいなものでした。
これは何故か電気機関車だけだったようでその経緯と歴史は不明です。
なので機関士の中には鳴らさない方もいたようです。
急行越前は色んな型式の客車がミックスされていて衝動を出さない停車ブレーキ扱いに各停車駅で悩んだことが懐かしいです。
なるほど、機関士をされていたのですね。私は鉄道は好きで撮影していますが、マニアほど詳しくないので、教えていただいてありがとうございます。勉強になります。
「衝動を出さない停車ブレーキ扱い」
と言うのは、停める時の事なのでしょうか?
@@HobbyVideos
1221レや1223レとかよくあんなのを運転してたなぁ〜と(笑)
越前はブレーキ性能がバラバラな編成で自動ブレーキでの停車ブレーキは胃が痛くなりましたね。特に下りの石動駅。能登よりも難しかった記憶が。
1221とか1223って金沢福井間の旧型客車でしたっけ?
ブレーキ性能がバラバラな編成って、旧型客車と10系寝台の編成かな?
素人が思うには、ブレーキは締めるか緩めるかしかできないので、どんな風に難しいのかがよくわからないですが、停止直前になって、急にブレーキが利いたりするのかな?
特急ひだが北陸本線走ってたんだ! 知らんかった!
+ef58100 さん メッセージありがとうございます。
1日に1往復なんですが、国鉄時代は、金沢と名古屋間にキハ82の特急ひだが、走っていました。
高校三年生になった頃です。津幡駅から金沢駅まで電車を利用し通学していました。当時は両駅とも無料の駐輪場がありました。津幡駅ではあんころもちを販売していました。懐かしいです。陸橋は今も変わらないのですがようやくエレベーター?が設置されるらしです。
メッセージありがとうございます。
津幡駅でもあんころもち を売っていたのですか?
松任駅でも売っていました。
昔は、窓を開けて買う事ができたからね。
津幡駅が、何やら工事をしていたとは、聞いていましたが、エレベーターを設置していたのですか?
今は、みなエレベータがつけられて車いすの人が他人の手を借りないでも、ホームまで行けるようにしているのですね。
最初に出てきた屋根が白い客車は張り上げ屋根のマニ32ではないでしょうか。
多分、そうだと思います。数少ない車輛だったら、その確率は高いですね。
子供の頃大阪駅から(まで)回送される北陸特急の列車をよく見ました。ポートピア博覧会は小学校4年の時で、パンダを見るのに長時間並んだ記憶があります。始めて北陸に行って雷鳥に乗ったのは平成3年、運転免許の合宿で七尾に行ったときでした。予定より遅れて卒検パスして大阪に帰るとき、金沢駅やスーパー雷鳥のワゴンサービスでビールと駅弁やつまみを買って一人祝い酒したあと寝落ちしてしまい、大阪駅到着後車掌さんに起こされ恥ずかしかった思い出があります。加越の列車名とヘッドマークの由来がわかったのもこの頃です。
なるほど、疲れていたのですね。大阪駅に着いていても起きないと言う事は、爆睡していたのですね。
私も、学生時代に、東北に撮り鉄に行って、福島から米沢まで普通列車に乗っているうちに寝てしまい、車掌に起こされ、この後米沢駅待合室でまた寝てしまい、急行津軽が来る前に、駅員に起こされた事があります。
でも、運転免許の合宿って今は流行っているのでしょうね。私は、家から通って免許を取得しました。
2:35 国鉄時代は寝台特急北陸は津幡通過
JR時代になって津幡に停車するようになった
懐かしいですね・・・・
越前・能登・北陸と寝台車がありましたね
越前は先になくなりましたね
北陸本線は30年前は普通旧型客車走っていて
当時でも衝撃を受けました(^-^;
メッセージありがとうございます
北陸本線が交流電化だったために、旧型国電などが、走れなかったため、旧型客車になってのでしょうね。
厳密に言うと、昭和57(1982)年11月のダイヤ改正で、能登が廃止され、越前は、福井と金沢の間が廃止になり、金沢と上野の間は、列車名が能登に、車両は、14系の3段寝台車と座席車に変わりました。
余談ですが、この時の改正で、急行のきたぐにも、新潟と青森の間が廃止になり、能登と同じような編成に変わりました。
最後に出てきた普通列車で、車内が通勤仕様のロングシートに改造された客車は、旧2等車(グリーン車)が種車になっているものが多く、映像から見るとスロ51からのものが確認できました。それと、よく分からなかったのですが、窓割から見ると旧特急用のスハ44(スハフ43?)から改造されたものがあったように見えます。スハ44は、晩年は四国に集中配備されていたと記憶しており、わざわざ乗りに行きましたが、金沢客車区に転属してロングシート化されたのでしょうかね?いずれも、改造後はオハ41という形式称号にまとめられておりました。貴重な映像を楽しませていただきました。
+sato hiroki さん メッセージありがとうございます。
ロングシートの客車は、ちょっと好きになれなかったので詳しい事は分からなかったのですが、貴重な情報をありがとうございます。
何か、ニュースでも見ましたが、スハ44は、大井川鉄道で2両が動態保存されるために輸送したと言うニュースを覚えています。それが、四国からでした。ですがら、おっしゃるように四国に配置されていたのでしょうね。
横から失礼します。スハ44及び一族のスハフ43・スハニ35は特急運用を離れた後、シートを回転クロス化改造されました(かつて門鉄局が特急[かもめ]の方向転換のややこしさ=香椎線や勝田線を使って2時間弱かかっていた=解消の為提案しその改造工事中のピンチヒッターとしてハザをナハ11・ナハフ11に置き換え、再び投入する予定だったのが東海道の臨時特急用に回され帰ってこなかったことが有りました)。当初は持ち回り観光列車などに使われましたがやがてスハ44の半数以上はスハフ43(11~)に改造され20系化前の[みずほ]や臨時[あさかぜ]などにも使われた後、夜行急行の主に座席指定車に充てられました。有名なところでは東京~大阪間の銀河2-2号があります。ただ、在来一般型客車の常として検査等で編成から外れた際には4人掛けシートのスハ43・スハフ42などが入ることもしばしばでしたが…主な働き場だった山陽夜行が新幹線博多開業で悉く廃止されたのを機に、スハフ43のかなりの数が四国に渡り状態の悪いオハフ61などを置き換えましたが、電気暖房化されたものは皆無で北陸地区への配備はありません(ただ、スハニ35の一部は生涯一度も特急運用に就くことなくローカル線で日の当たらない暮らしを強いられ人知れず消えて行ったものもあり、中には今は亡き川俣線でC12牽引の混合列車に入っていたり、両毛線でC50に牽かれたりした姿が記録に残ってます)。また、他形式への改造も入場中の火災事故で車体が損傷したためスハネ16に改造されたスハ4427以外はスハニ351→オヤ3352、スハニ352・スハニ353→オハニ402・オハニ403→後に両方ともマニ35化、そしてあと数両スハニ35がマニ35に改造された程度です。トラストトレインに使われるスハフ432・スハフ433は一族3両しかいない極めてレアなスハフ43原型車です(しかし3両中2両が今も生き残っているのは凄いかも?)。本当はスハ44の面影を残すスハフ4315も保存する予定でしたが話が行き違いこれは民間に売られてしまいました。またオハニ36も元は白熱灯の残っていた11番を確保する筈がこれはJR東日本に持って行かれてしまい、止む無く7番を確保することになったものです。とはいえオハニが確保できたことでその荷物室がトラストトレイン運転時には添乗ボランティアにとっての[スタッフルーム]並びに資材置き場として頗る役に立っています。また室内灯はその後他鉄道様の御厚意もあって部品の調達ができ今は白熱灯に復元されました。
すっごく詳しいメッセージありがとうございます。
私も、北陸に住んでいるのですが、スハ44と言うのは、模型でした見た事がないのです。
でも、これらの車両が昔は特急に使われていたと言うのは、今から想像も出来ないですね。
また室内灯の白熱灯の事が書かれていましたが、私が学生時代に東北に行った時に、一杯旧型客車に乗りました。
その時、車内のニスの色の違い、室内灯の白熱灯と蛍光灯の違い、さらに、2列についているか、天井の真ん中に1列についているか、などなど、色々ありました。
乗っている時に思ったのですが、外から見たら白色の室内灯と電球色の室内とが入り混じっていて、こんなの、模型で表現できたらいいなって思ったこともあります。
今は、もう思い出の車両ですね。トラストトレインなんて運転されるのですね。一度乗ってみたいです。
私はまだ生まれていませんが、いろいろ探ってみると北陸は凄いですね。
他のブログも見てみましたがポートピア号はボンネットも入っていたそうです。
ひだは金沢始発の大胆な列車運用の時代ですね。これが昭和60年3月のダイヤ改正からは一旦飛騨古川までしか行かなくなってしまいましたからね(私の持つJTB国鉄特急大カタログより)。
メッセージありがとうございます。
昔は、国鉄で会社の境界が無かったので良かったですね。
長野発の米原行旧型客車とか、色々ありました。
でも、北陸本線は、この区間だけぽつりと交流電化だったのが、また異色の車両が走ることになったのでしょうね。
もし直流だったら、旧型国電が一杯走ったかも知れません。
特急も181系が走ったかもしれませんね。
津幡駅と言えば「ゼロの焦点」のイメージですね。
そうなんでうすか?
ゼロの焦点も見た事があるけど、私はあまり津幡駅の記憶はなく、羽咋から三明へ行く列車が写っていたのを覚えています。
昔はね 蒸気機関車🚂 時も 手を振るとポーオと汽笛鳴らしましたね!この映像はピーィーだったね
ありがとう😊
そうです。電化前は、ディーゼル機関車も走っていたのかな?
それとも、蒸気から電気になったのかどうか!
メッセージありがとうございます。
最後の字幕間違い、ありがとうございます。
こちら、修正して投稿やりなおしましたのでよろしくお願いします。
列車番号は、当時の撮影記録と当時の時刻表を照らし合わせています。
だから、貨物だけは、貨物時刻表まで買っていないのでさっぱり分からないのです。
最近は、デジタルカメラで、撮影日時が記録されるので、家に帰ってから、映像ファイルの撮影時刻とダイヤを照合して割り出す事が出来て便利ですね。ダイヤが乱れると困るけど。
はるか昔に能登半島を旅行しに行った際の往復が急行能登でした。
なんか思い出深い夜行列車です。
A寝台・B寝台・グリーン車・普通車指定席(上りのみ)・自由席とバラエティー豊かな列車だった。行きは混んでたけどなんとか座れ帰りは指定席♪
能登半島の景観より印象が強く残った。
この映像は本当に見たかった。
貴重な映像をありがとうございました(^^)
急行能登で能登半島に旅に来られたのですね。今では、考えられない急行列車で直角の椅子なのですからね。でも、それがこの当時の夜行列車だったのです。でも、関東で自動ドアーの山手線や総武線の電車などが走る時代に、秘境、能登半島へ旅をするのにふさわしい列車だったかも知れませんね。
時代は変わって今は、新幹線ですがね。
母方の実家が新庄の近くにあってこの手の夜行列車は「おが2号」「津軽」に何度となく乗りました。(小さい頃上野発青森行き(奥羽本線経由)にも乗ったと聞かされたけど記憶がない)
それと夜行列車好きでしたし(^^)
能登半島の鉄道も輪島・珠洲、蛸島まで通っていたんですよね。
なんか懐かしい。
今の鉄道は快適な移動手段にはなったけど、それと引き換えに大事なものを失ったような気がする。
そうですね。この先、今の子どもたちは、今の鉄道しか知らないし、今の鉄道が当たり前だと思っているのでしょうね。
能登は上り下りとも普通車指定席連結してたような記憶が…
越前は普通車は自由席のみだったと思います。
白い屋根のマニの白い部分は鋼板で灰色9号のペンキで塗られています。
そうですか。情報ありがとうございます。
自分はゆとり世代ですが今の列車より、こう言った列車の方が魅力的に感じます。
メッセージありがとうございます。
今では、こういう列車、もう知らない人が多くなってきているのでしょうね。
521系ですら、転換式のシートですから、これ、普通車は直角のボックスシートで急行だったのですからね。
でも、それがなぜか魅力なのかな?
@@HobbyVideos
お返事ありがとうございます。
別IDですが、同一人物です(笑)
すみません、自分が住んでる地域はJR東日本のとある幹線の沿線です。
走る電車は、ロングシートが多いのは我慢できますが、座席が硬いしボックスシートも狭いしカーテンがないので眩しいです。
しかも編成も短くていつも混んでる。
はっきり言って前の国鉄車両のほうが良かったです。
521系のような転換クロスシートだったらまだ違う反応してたでしょうね。
まあ転換クロスシートとか贅沢なことを言わないから、せめて日除けを付けてほしいですね。
JR東海の313系のオールロング仕様すら羨ましく感じますよ。
ロングシートでも席は柔らかくて日除けも付きますからね。
JR東日本を始めとする鉄道屋の幹部はたまには電車通勤して客目線でサービスしてほしいです。
旧型客車の能登号、乗ったことがあります。東京~関西を移動するのにわざわざ北陸経由で....
上野~金沢を能登号、金沢~大阪をゆのくに号。懐かしい思い出です。
そうですか、いつも東海道での移動ばかりしていて、飽きてきたのかな?
まあ、東京から関西との移動は、色々出来ますからね。
昔は、こんな列車が普通に走っていました。普通に急行として・・・・です。
@@HobbyVideos 中央線のちくま+アルプスもやったことがあります。
12:32 七尾線和倉温泉発金沢行き普通列車はその後優等列車昇格に伴い
急行能登路2号→スーパー雷鳥12号→サンダーバード12号→能登かがり火2号と変動している
北陸はかつて上野から金沢まで走っていました。国鉄が分割民営化されてJR西日本とJR東日本に分かれました。
はい!でもしばらくは乗り入れ運転していましたね。
70080402 Mfk さんメッセージありがとうございます。
返信の文字が出ていませんので、ここに返信を書きますね。
1982年の3月の時刻表を見たのですが、能登中島に8:36に到着します。
そして、たぶん8:53発の金沢行きになるのだと思います。
残念ながら気動車はもう走っていません。七尾線は今でもジョイント音が鳴って、旅の雰囲気が満点ですが、若い世代の人から言わせると、
「なんちゅううるさいんや!」
っと北陸本線ばかり乗っている人が、七尾線に乗った時に言ってました。
でも、私のような、昔人間は、あの音が癒されるのですね。
西宮後と申します。
七尾線の2扉ロングシート客車が凄まじいですね。
あれだけ長いシートで混雑している時の車内はどんな雰囲気だったのか・・・
私も子供の頃金沢駅で七尾線の客車列車を見たことがありますがその頃は既に12系客車になっていました。
経費節減のためか白帯塗装が省略されて真っ青だったのですが後に475系が青一色に塗られたのを見て、この時の客車列車を思い出しました。
Sa Ma さん メッセージありがとうございます。
私の友達が、金沢に撮り鉄にやって来て、その人から聞いたのですが、車内はどうだったのかは、聞いてませんが、
「デッキに人がはみ出して乗っていた」
と、言っていました。当然、ドアーは開けっ放しで、デッキの階段の下の部分に乗っていたと言う事ですね。
七尾線ではないのですが、私が撮影した映像で北陸本線でも少し映像があります。
ruclips.net/video/eqNVdv5F0oY/видео.html
それと、旧型客車から、12系の新型客車に変わる間に、レッドトレインの50系が導入されていた時がありました。
ruclips.net/video/-l0J1zzUJUw/видео.html
こちらに、レッドトレインが少し写っています。
475系の青一色は、思い出しますね。12系を。
@@HobbyVideos 数日前にMROの夕方のニュースでそれらしき車内の様子が映ってましたね。(当時のスリや置引の手口を紹介するニュース映像で)
何度も見てしまいますねー😊
ありがとうございます。
はじめまして。
懐かしい貴重な映像を拝見できて驚きました。
ナレーションが『普通』で聞きやすいところも素晴らしいです(^.^;
当時は子供で、鉄道雑誌をたまに買っては穴が空くほど眺めていました。
はじめまして、当時は子どもでも、今は立派な社会人。
時の流れるのも早いものですね。
まさか、こんなコロナが流行るとは思っていませんでした。
603レ・365レのスロ62懐かしいです。
運用を離れた後も長らく金サワでその姿を見ることができました。
グリーン帯がなくなったのは合理化で塗装(淡緑6号)をけちったためだと言われています。
メッセージありがとうございます
合理化で塗装をケチったため・・・・それは、知らなかった。
特急が、グリーン帯が無いので、それにそろえ始めたのかなって思っていました。
このレトロ感たまらないですね。汽笛の音もいいですね。
メッセージありがとうございます。
この列車が、東海道では新幹線が走る時代に、同じくして走っていたのです。
今となっては、もう鉄道模型でしか見られない風景ですね。
そうですね、そう思って、この当時私はビデオを買ってすぐに撮影したのです。
絵本の「やこうれっしゃ」の時代ですね。私は10系寝台は保存車両やSLホテル程度しか見た事がありませんが晩年の姿はなかなか味わい深いですね。料金の事を無視しても、北陸よりも能登や越前を選んでしまいそうです。
絵本の「やこうれっしゃ」知っているのですね。あの絵本は、多分乗車した人が書いたのだと思います。
金沢までEF58牽引になっていましたが、作者はしらなかったみたいで、それはそれで、他の描写はすごく良く描かれてますね。
私も、北陸よりも、能登や越前を選びます。
@@HobbyVideos 【やこうれっしゃ】は愛読書で
あります。おっしゃる通り全編に渡って素晴らしいですが、私のお気に入りのページは深夜の水上駅?に停車中のシーンで若者がお茶と駅弁を買っているところですね。真夏に見ても「う~サブサブ」と一人で震え上がってしまいますね。この本をゆっくりと眺めていると、年末の慌ただしい上野駅から冬の北陸へしばし、旅をした気分になれます。平成から令和になっても新幹線で東京に行く際は、時間があれば上野駅の中央改札口や地平ホームを訪れます。かなり重症かもしれません。
あ!あの駅は水上駅なのですか。私はてっきり長岡駅だと思っていました。
私も、あの絵本の上の駅の改札のカットを撮影しました。レストランからの撮影だったように思います。
@@HobbyVideos 確信はありませんが、ベンチに「水上~」と書かれてあったので。また補機にEF16を連結するため停車時間も長かったのかなと。それを見越して深夜でも駅弁を売っていたのかな?などと想像したうえです。実際の時刻などは確認していません。おじさんが持つヤカンの意味がわかるひとも減る一方かな。マンガ【美味しんぼ】にて「ローソクの味がする」と酷評されたかつてのお茶の味ははっきりと覚えています。
素敵な映像と、心地良いナレーションが大好きで、いつも楽しませて頂いております。
10系客車☆重厚で無骨で、感動しました!!
僕は北斗星世代なので、新鮮に映ります。
+Nukki Nukki さん メッセージありがとうございます。
北斗星時代と言う事は、寝台列車が豪華寝台になり始めた頃ですね。
昔は、個室の20系あさかぜがあって、その反面、普通の3段B寝台と、A寝台だけの時代がありました。そして青函トンネルが開通したのがきっかけだったのかもしれませんが、北斗星、トワイライトエクスプレスなどの、豪華個室が連結された列車が走り始めました。この映像は、まさしく、そんな列車が走る前の映像で、北陸も、日本海もB寝台とA寝台、急行は、旧型客車と言う、時代でした。
鉄道模型では、見ているが本物は博物館でした見た事がないと言う世代になりつつあるのですね。
+国鉄時代の鉄道ファン さん、詳しいご説明、大変勉強になりました☆
この映像撮影時、僕は4歳でしたwもう20年早く生まれたかったと残念に思う日々ですが、貴殿の貴重な映像によって、夢が叶った気持ちになれます。これからも、応援しております!!
+Nukki Nukki さん メッセージありがとうございます。
みんな、古い列車に興味があるみたいで、よく、もっと早く生まれたかったって言われます。でも、今は、スマホでもビデオが撮影出来る時代で、とっても良い時代ですね。今は今の鉄道を残しておきたいと思います。
北斗星は洞爺まで乗りました。
まだまだ475系の普通列車は少ない頃でしたね。急行運用がなくなってしまったので、旧型客車の置き換え専用機として生まれました。
その通り。
この当時は普通と快速が走っていたと思うのです。
快速が475系で普通が主に旧型客車だったように思います。普通の475系も有ったようですが。
@@HobbyVideos 1980年代前半より急行運用が無くなった時に近郊型に改造して転用できなかったんですかね?私が思うに475系は電気機関車+旧客列車のスペックを大幅に上回っており、国鉄急行型に使われた台車は当時のものとしては東武8000系に次ぐ一級品、あの台車とMT54D電動機は雪国にも強いので近郊型に改造すれば、加速力は現代の3VFインバーター制御車にも劣らないスペックだったと思います。現に413系は鋼製車ですが加速はいいので、475系も近郊型に改造すれば旧客の3分の1の時間で米原~直江津間を走破出来たと思います。当時は吊り掛け駆動もかなり残っており、カルダン駆動車は抵抗制御であっても神同然の扱いで、田舎ほどカルダン駆動車を欲しがってたのだと思います。当時の日本、カルダン駆動の普及率が悪すぎるんです。そういうこともあり2015年引退した475系は普通列車としては30数年しか走ってないので、引退するにはまだ早かったと思います。
11:51 日本海4号
1988年から2006年までは函館発大阪行き
良き昭和レトロの時代の国鉄北陸本線急行越前号。能登号。EF81電気機関車牽引寝台特急北陸号。懐かしいです。
昭和ってついこの前と思っていたのに、平成も終わって、平成の前の時代なんですね。
時の流れは早いものです。
配信を有りがとうございます❤やはり、夜行列車はこの車両ですね🎉夢の😌🌃💤話しですけど、もう一度機会が有りましたら、乗りたいですね😅どこでもドワが欲しい、ですね😭🌺お疲れ👋😍💋さまです🍀ご安全に☀️
今は、もう鉄道での旅情とか、旅などと言う時代は終わったみたいですね。
鉄道ファンも、マナーが悪いのか知りませんが、これまで撮影出来ていた場所も入れなくなったりして、昔のような鉄道とのかかわり方、楽しみ方は出来ない時代の様です。
グリーン車の緑帯は、1980年頃からコスト削減(当時流行った合理化)のため、工場入場時に順次省略されるようになりました。
だから1981年当時は過渡期だったので日によって帯が有ったり無かったりしてたんですね。
あと、急行『越前』の機関車次位のマニ37や急行『能登』の機関車次位のスニ41、そして七尾線のオハ41型の映像は、地味ですがレアだと思います。
コスト削減のために、グリーン車の帯が省略されたのですか?
当時、この急行能登をNゲージで作って見たのですが、このスニ41になる車両がどうしても売って無くて困りました。
俺は18歳ですが、この時代の車両はほんとみんなかっこいいと思います。
最近の車両はなんか変な感じで嫌な気持ちにしかならないです。
メッセージありがとうございます。
そうですね。昔の国鉄の人たちは、それなりに気合を入れて車両を設計し、作っていたと思います。でも、それが時代の流れによって、技術の進歩によって電気代の少なくて済むエコな技術が進み、こんな車両になってしまったみたいですね。
塗料の進歩もあるようで、昔は屋根は、防水のグレーか銀色だったのが、今では青い屋根の電車なんて出てきて、こんなの初めて見ました。
まあ、今の車両のデザインは、鉄道車両から少し離れて自動車のデザインっぽい気もせんでもないですね。
最近の車両もいつか懐かしいと感じるときがくるのは間違いないので、それを生で見ることができる今を大切にしておきたいものです。
客車車両とても個人的に好きです😄子供の頃、大阪へ行く際によく乗ってました
メッセージありがとうございます。
そうですね。
私も好きなんです。
いまは、動力分散方式の電車、気動車になってしまい、もう機関車と客車の時代は終わったような感じですね。
帯が省略されたのは国鉄合理化の関係だったと思います
そうなんですか。
メッセージありがとうございます。
色々と情報ありがとうございます。
その辺は、さっぱり分からないところで、当時はなにしろ来た車輌を片っ端から写していました。
当時、白黒のファインダーで後で、こんな車輌があったのか!って友達に指摘されて珍しいもんが、写ってたのか?
てな感じだったのです。
窓配置がちょっと独特なんですね。やはりナニコレ珍車ですね。(笑)
汽笛の件ですが、あの場所は、線路のすぐ横ではなくて、何本もの線路を隔てたところから撮影していたのですよ。
それでも、目立ってたのですかね?
「サービス」なのか、知らないけど、みんな鳴らし方が同じようで(笑)
荷物車にA寝台車、B寝台車、グリーン車、そして普通車の編成。今では2度と見る事が出来ない貴重な編成ですね。
そうですね。東北の方も、いっぱい走っていましたね。津軽とか八甲田とか。
昭和56年ですか、懐かしいですね。私が鉄道に興味を持ったのは123等急行銀河、彗星、月光などの時代です。当然新幹線、ブルートレインなんてありません。特急は全国で「つばめ」「はと」「かもめ」「はつかり」しかありませんでした。「はと」の特別3等車(今で言えばリクライニングしない背もたれが直線的なグリー車)に2度ばかり乗ったことがあります。12時半大阪発21時東京着、8時間半でした。手書きの特急券まだ持ってます。ご存じでしょうが大阪↔青森間の普通列車が36時間かけて走っていました。急行「日本海」で24時間近くかかりましたから。不便でしたが、移動の手段と言うより楽しい旅でしたです。
メッセージありがとうございます。
そうですか。日本が大きかったのですね。
今は、新幹線が走り、だんだんと日本が小さくなってきましたね。
大阪ー青森の普通列車なんであったのですね。36時間って1日以上もちろん、夜行を昼行。それの進化したのが、特急トワイライトエクスプレスになったのかな?
でも、昔は、それだけの時間がかかることが、当たり前でみなさん不便とは思わなかったのでしょうね。
逆に、今の時代、スピードは上がっているのに、普通列車で旅をしようとすると、細切れで乗り換えしないとだめで、さらには乗り換えの連絡がわざと悪くして、特急に乗らせるようにしている方が、不便ではないかと思います。
これは貴重な動画ですね。
急行客車編成には感動ものでしかも
急行電車に気動車特急が記録されて
いるので私には正直たまりません。
更に動画を紹介してくれると嬉しい
ので、今後も宜しくお願いします。
まあ、私の好きな急行能登、特急ひだが走る津幡付近の早朝なのです。
ビデオ買って、嬉しくて、早起きして撮影に行きました。
ユートピア和倉は知っていますがポートピアがあったのは初耳です。!そんな特急があるのですね!
ポートピアは、神戸での博覧会が有った時だけの臨時的な列車だったと思います。
ユートピア和倉は、定期列車でしたね。
'81年というと、この頃の14系や24系はB寝台が「3段式」(いわゆる『1つ星』)だったんですよね。
メッセージありがとうございます。
ごめんなさい。そこまで分かりませんが、東海道を走っていたブルートレインは三ッ星でしたよね。
3:48周りの白い屋根、張り上げ屋根のマニ36ですか?レアですね。
メッセージありがとうございます。
そうなんです。
私は、何も思わずに撮影していたのですが、当時撮影直後にこのビデオを見た友達が、メモ控えて調べてみる、なんて言ってました。
3:03 からの荷物列車に組み込まれていた、屋根が白い荷物車ですが、これはマニ36に数両いた、張り上げ屋根車ではないでしょうか?
窓割りからみるに、オロ40の初期車を改造したものと思われ、屋根が白く見えていたのは、茶色い部分に光が反射していてそう見えていただけだと思います。
もう何年も前なので、もう解決しているかもしれませんが…
メッセージありがとうございます。
私も、あまり荷物車には興味なかったので、ただやって来た列車を撮影していたくらいで、あまり詳しい事は分かりません。
過去にも、この車両に関してメッセージを頂いたのですが、今探してみると、ちょっと見つけられませんでした。
まあ、知っている人は知っているようで・・・・
富山地方鉄道の電鉄魚津駅のガード下からよく眺めていた。
なるほど!今から思えば、こんな列車が走っていたなんて信じられないかも知れませんね。
EF70の走行シーンは初めて見ました。
前パンで入線するシーンもありましたが、北陸本線では一般的だったのですか?
北海道では小樽側のパンタ固定でした。
EF70のパンタの件なのですが、私のチャンネルにメッセージを頂いた方の情報では、EF70は、進行方向が変わるたびに、後ろのパンタに変えると、一度電源が切れて、また色々と再設定をしないといけないようで、電源を切りたくないためにパンタは一定方向にしたままだそうです。
國鐵金澤!良い映像ですね👍
東海道新幹線が走る同じ時代、北陸本線にはこんな列車が走っていました。